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最後の審判 73

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(11)今後の世と教会の状態について

73 世の今後の状態は、今まであったようなものと完全に似ているでしょう。なぜなら、霊界の中で行なわれたその大きな変化は、外なる形に関して、自然界の何らかの変化をひき起こさないからです。それゆえ、今後も等しく、前のように、市民の事柄・平和・協定・戦争、社会に属する他の全般的なものや特定的なものがあります。
最後の時について主が言われたことは、

戦争があります、そしてその時、国民が国民に対して、王国が王国に対して立ち上がり、個々の場所に、飢饉、疫病、地震があります(マタイ24:6, 7)。

これらは自然界の中のこのようなものでなく、霊界の中の対応するものを意味します。
というのは、みことばは預言(予言)の中で地の王国について、そこに国民について、そのように彼らの戦争についても、そしてまた、そこの飢饉・疫病・地震についても扱っていないで、霊界の中でそれらに対応するものを扱っているからです。それらがどんなものであるかは、『天界の秘義』の中に説明されており、それらからの抜粋が左の欄に見られま*1
[2]けれども、教会の状態については、それは今後、似たものとなりません。確かに、外なる外観に関して似ています、しかし、内なるものに関して似ていません――外なる外観に関して前のように分裂した教会があるでしょう、前のように、それらの教えが教えられ、異教徒のもとの宗教的信念も同様でしょう。しかし、教会の人間は、霊的な自由が回復されたので、今後、天界のものである霊的なものについて、信仰の事柄についてさらに自由に考える状態の中にいるでしょう。というのは、天界の中と地獄の中のすべてのものは秩序が回復され、ここから、神的なものまた神性に反するについてのすべての思考が流入するから。そのとき、神的なものについては天界から、神的なものに反するものは地獄から流入します。しかし、この状態の変化を人間は、そのことについて熟考しないので自分自身の中で気づかず、霊的な自由について何らかのものも流入についても知りません。それでも、天界の中でそのことは知覚され、そしてまた人間そのものにより、彼の死後に知覚されます。
人間に霊的な自由が回復されたので、それゆえ、みことばの霊的な意味が今や明らかにされ、そしてそのことによって内的な神的な真理が啓示されました。というのは、人間はそれらを前の状態の中では理解しなかったであろうし、理解したなら、冒涜したであろうからです。(人間に自由が天界と地獄の間の均衡によってあること、人間は自由の中でしか改心されることができないことは、著作『天界と地獄』597番から終わりまで参照)。


*1 みことばの中の「戦争」は、霊的な闘争を意味する(1659, 1664, 8295, 10455番)。
ここから、「弓」、「剣」、「盾」のようにすべての「戦争の武器」は、霊的な闘争の何らかのものを意味する(1788, 2686番)。
「王国」は、真理に関するまた虚偽に関する教会を意味する(1672, 2547番)。
そこの「国民」は、善の中にまた悪の中にいる者を意味する(1059, 1159, 1205, 1258, 1260, 1416, 1849, 4574, 6005, 6306, 6858, 8054, 8317, 9320, 9327番)。
「飢饉」は、善と真理の知識の欠乏を意味する(1460, 3364 ,5277, 5279, 5281, 5300, 5360, 5376, 5893番)――教会の荒廃もまた意味する(5279, 5415, 5576, 6110, 6144, 7102番)。
「疫病」は、善と真理の荒廃と終結を意味する(7102, 7505, 7507, 7511番)。
「地震」は、教会の状態の変化を意味する(3355番)。