新しいエルサレムとその天界の教え 22
22 真理の中にいて、善の中にいない者について、そのように善のない真理について
善のない真理はいのちをもっていないので、本質的に真理ではない、というのは、真理のいのちはすべて善からであるから(3603番)。
そのように、あたかも霊魂のない肉体のようである(8530, 9154番)。
単に記憶の中にあって、いのちの中にない真理と善の知識が、彼らに真理であると信じられている(5276番)。
自己と世への愛から発出する原因から、単に知り、認めるだけの真理は、人間に専有されないし、彼のものともならない(3402, 3834番)。
しかし、真理と善そのもののために認めるものは専有される(3849番)。
善のない真理は主に受け入れられない(4368番)――救いもしない(2261番)。
善のない真理の中にいる者は、教会からのものではない(3963番)。
彼らは再生することもできない(10367番)。
善を通してでないなら、主は真理に流入されない(10367番)。
善からの真理の分離について(5008, 5009, 5022, 5028番)。
善のない真理がどんなものか、善からの真理がどんなものか(1949、1950, 1964, 5951番)――比較から(5830番)。
善のない真理は難くせをつける(1949–1951, 1964番)。
霊界ではそれは固く見える(6359, 7068番)。またとがって〔見える〕(2799番)。
善のない真理は、その中では地のすべてのものは無活動となり、何も生み出されない冬の光のようである―― しかし、善からの真理は、その中ではすべてのものが花開き(栄え)、生み出される春と夏の光のようである(2231, 3146, 3412, 3413番)。
このような冬の光は、天界から光が流入するとき、濃厚な暗やみに変わる。その時、その真理にいる者は盲目と、愚鈍の中にやって来る(3412, 3413番)。
善から真理を分離する者は暗やみの中に、真理への無知と虚偽の中にいる(9186番)。
彼らは虚偽から悪の中へ自分自身を投げ込む(3325, 8094番)。
彼らがその中に自分自身を投げ込む誤りと虚偽(4721, 4730, 4776, 4783, 4925, 7779, 8313, 8765, 9222番)。
みことばは彼らに閉ざされている(3773, 4783, 8780番)。
彼らは主が愛と仁愛について、したがって善について語られたことのすべてを見ない、また留意しない(2051, 3416番)。
彼らは何が善か、そのように何が天界的な愛と仁愛か知らない(2471、3603, 4136, 9995番)。
信仰の真理を知り、悪の中に生きる者は、来世では支配に向けて真理を誤用する。彼らがどんなものか、そこでの彼らの運命がどんなものか(4802番)。
神的な真理は地獄へ断罪する、しかし、神的な善は天界へ高揚する(2258番)。
神的な真理は恐れさせるが、神的な善は恐れさせない(4180番)。
何が真理から裁かれることと善から裁かれることなのか(2335番)。