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新しいエルサレムとその天界の教え 27

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27 知恵は真理によって善からである
どのように理性的なものが人間にみごもり、生まれるか(2094, 2524, 2557, 3030, 5216番)。
〔これは〕人間のもとの認識と知識の中へ、天界を通しての主の流入によって〔生まれ〕、そこから高揚がある(1895, 1899–1901番)。
〔その〕高揚は役立ちとそれらの愛にしたがっている(3074, 3085, 3086番)。
理性的なものは真理を通して生まれる。ここから真理があるように、このように理性的なものもある(2094, 2524, 2557番)。
理性的なものは善からの真理によって開かれ、形作られ、悪からの虚偽によって閉じられ、滅ぼされる(3108, 5216番)。
どんな事柄についても推論することができること、そのことによって人間は理性的であるのではなく、〔何かが〕真であるかあるいはないかを見、また知覚することができることによって理性である(1944番)。
人間は善の中へ生まれていないので、何らかの真理の中へも生まれていない。しかし、すべてを学び、吸収しなくてはならない(3175番)。
感覚の欺き、虚偽の信念、そこからの推論と疑いのために、人間は、純粋な真理を受け入れ、こうして賢明になることがほとんどできない(3175番)。
人間は、真理に反する推論を退け、疑いを追い返し始めるとき、その時、賢明になり始める(3175番)。
照らされていない人間の理性的なものは内的な真理をあざわらう(例から、2654番)。
人間のもとの真理は、彼のいのち(生活)に植え付けられるとき、内的な真理と呼ばれる。またここから、たとえ内的な真理と呼ばれていても、それを知っていること〔はいのちに植え付けられること〕ではない(10199番)。

善には賢明になる能力がある。ここから世で善の中に生きた者は世を去った後、天使の知恵にやって来る(5527, 5859, 8321番)。
それぞれの善の中には無数のものが内在する(4005番)。
無数のものを善から知ることができる(3612番)。
善からの真理の増加について(5345, 5355, 5912番)。
幼児の善は、真理によって、そして真理にしたがった生活によって、知恵の善となる(3504番)。

真理への情愛と善への情愛がある(1904, 1997番)。
真理への情愛の中にいる者がどんなものか、また善への情愛の中にいる者がどんなものか(2422, 2429番)。
だれが真理への情愛に入ることができ、だれができないか(2689番)。
すべての真理は全般的な情愛の下に秩序づけられている(9094番)。
真理への情愛と善への情愛は、自然的な人間の中で兄弟と姉妹のようなものである、けれども、霊的な人間の中では夫と妻のようなものである(3160番)。

純粋な真理は、人間のもとに、また天使のもとにさえ与えられておらず、主のもとにだけある(3207, 7902番)。
人間のもとにある真理は真理の外観である(2053, 2519番)。
人間のもとで最初の真理は感覚の欺きからの真理の外観であるが、それでも知恵に関して完成させられるほど、連続的に捨てられる(3131番)。
善の中にいる人間のもとにある真理の外観は、主により真理として受け入れられる(2053, 3207番)。
何が真理の外観か、またどんなものか(3207, 3357-3362, 3368, 3404, 3405, 3417番)。
みことばの文字通りの意味はしばしば外観にしたがっている(1838番)。
同一の真理が、ある者のもとでさらに真理であり、他の者のもとで少なく、また他の者には、虚偽化されているので、虚偽である(2439番)。
さらにまた真理は、自然的な人と霊的な人の間の対応にしたがって真理である(3128, 3138番)。
真理はそれについてのいろいろな概念と認識とにしたがって相違する(3470, 3804, 6917番)。

真理は善に結合するとき、その時、いのちのものとなるので、記憶から消える(3108番)。
真理は、自由な状態の中にないなら、善と結合されることができない(3158番)。
真理は試練によって善と結合される(3218, 4572, 7122番)。
善には、真理を秩序づけ、そのことによってそれ自体にその状態を回復しようとする絶え間ないコナトゥス(努力)が内在する(3610番)。
真理は、善との伝達がさえぎられるとき、不快なものに見える(8352番)。
人間は、考えることと欲することを区別することがほとんどできないので、真理と善を区別することがほとんどできない(9995番)。
みことばの中で善は真理の「兄弟」と呼ばれる(4267番)。
さらにまたある観点からは、善は「主」と呼ばれ、真理は「僕」と呼ばれる(3409, 4267番)。