新しいエルサレムとその天界の教え 50
50 最も低い自然的な者、感覚的な人間について(これについては「教え」の中の前述45番)
感覚的なものは人間のいのちの最後ものであり、その身体的なものに付着し、定着している(5077, 5767, 9212, 9216, 9331, 9730番)。
身体の感覚からすべてのものを判断し、結論し、また目で見、手で触れることのできるもの以外に何も信じないで、これらのもの〔目に見え、手で触れるもの〕に意味があると言って、その他のものを投げ出す者は感覚的な人間と呼ばれる(5094, 7693番)。
このような人間は最も外なるものの中で考え、自分自身の中で内的に考えない(5089, 5094, 6564, 7693番)。
彼の内的なものは閉ざされている、そこに真理を何も見ないように(6564, 6844, 6845番)。
つまり、粗野な自然的な光[ルーメン] の中にいて、このように天界の光からのものを何も知覚しない(6201, 6310, 6564, 6598, 6612, 6614, 6622, 6624, 6844, 6845番)。
ここから、彼は天界と教会に属したものに内的に対立している(6201, 6316, 6844, 6845, 6948, 6949番)。
教会の真理に反することを確信した学者は感覚的である(6316番)。
感覚的な人間は、鋭く、また巧みに推論する、彼らの思考はほとんど発言の中にあるほどにもその近くにあるから、また記憶だけからの発言の中にすべての知性を置いているからである(195, 196, 5700, 10236番)。
しかし、彼らは感覚の欺きから推論し、これに大衆は捕えられる(5084, 6948, 6949, 7693番)。
感覚的な人間は他の者よりも狡猾であり、悪意がある(7693, 10236番)。
貧欲な者、姦淫する者、快楽にふける者、欺く者は特に感覚的である(6310番)。
彼らの内的なものは醜く、不潔である(6201番)。
それらを通して地獄と連絡する(6311番)。
地獄にいる者は、そこの深みにいればいるほどますます感覚的である(4623, 6311番)。
地獄の霊のスフェアは人間の感覚的なものに背後から結合する(6312番)。
感覚的なものから推論し、そこから信仰の真理に対立した者は、古代人から知識の木のヘビと呼ばれた(195–197, 6398, 6949, 10313番)。
人間の感覚的なものと感覚的な人間が、さらに描かれている(10236番)。また人間のもとの感覚的なものの拡大(9731番)。
感覚的なものは、最初の位置でなく、最後の位置になくてはならない。また賢明で知的な人間のもとでは最後の位置にあって、内的なものに服従する。しかし、賢明でない人間のもとでは最初の位置にあって、支配する。これらの者はまさしく感覚的な者と呼ばれる(5077, 5125, 5128, 7645番)。
もし感覚的なものが最後の位置にあって、内的なものに服従するなら、それらを通して理解力への道が開かれ、そして真理はあたかも抽出のような方法によって精練(引き出)される(5580番)。
人間の感覚的なものは世に最も近く存在し、世からやって来るものを入れて、あたかもそれらをふるい分ける(9726番)。
外なるまたは自然的な人はそれらの感覚的なものによって世と、理性的なものによって天界と連絡する(4009番)。
このように感覚的なものは人間の内的なものに役立つものを供給する(5077, 5081番)。
理解力の部分に供給すると意志の部分に供給する感覚的なものがある(5077番)。
思考が感覚的なものから高揚されないなら、人間はほとんど賢明ではない(5089番)。
賢明な人間は感覚的なものを越えて考える(5089, 5094番)。
人間は、彼の思考が感覚的なものの上に高揚されるとき、明るい光の中に、ついには天界の光の中にやって来る(6183, 6313, 6315, 9407, 9730, 9922番)。
感覚的なものの上に高揚されることとそこから引き出されることは、古代人に知られていた(6313番)。
人間は、もし身体からの感覚的なものから引き出され、主により天界の光へ高揚されることができるなら、自分の霊で霊界の中にあるものを見ることができる(4622番)。
その理由は、感じるのは身体ではなく、身体の中の人間の霊であるからである。〔霊が〕身体の中にいればいるほど、それだけ粗野で、暗黒の中に、このように暗やみの中にいると感じる。肉体の中にいないほど、それだけ明るく、光の中に〔いると感じる〕(4622, 6614, 6622番)。
理解力の最後のものは感覚的な記憶知であり、意志の最後のものは感覚的な快さである(そのことについて、9996番)。
獣と共通な感覚的なものと、獣と共通でない感覚的なものの間の相違は何か(10236番)。
悪くはない感覚的な人間がいる、その内的なものがそのように閉ざされていないからである。来世における彼らの状態について(6311番)。