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新しいエルサレムとその天界の教え 87

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87 善はそれぞれの者のもとでいろいろであるので、ここから、だれかが、どのような段階で、またどのような割合で隣人であるか、善の性質が決定する、といえます。このようであることは、強盗に出会った者についての主のたとえから明らかです。祭司は、またレビ人も、この半ば死にかかっている者を〔顧みずに〕通り過ぎました。しかし、サマリア人は、その傷に包帯をし、油とブドウ酒を注いだ後、自分の獣に乗せ、宿屋に連れて行き、彼の介抱をするよう命じました――この者は仁愛の善を実践したので、隣人と呼ばれています(ルカ10:29–37)。ここから善にいる者が隣人であることを知ることができます――サマリア人が傷に注いだ「油とブドウ酒」もまた善と真理を意味します。