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新しいエルサレムとその天界の教え 142

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142 自由から悪を行なうことは自由のように見えます、しかし、それは奴隷(隷属)です。なぜなら、その自由は自己愛と世俗愛からであり、これらの愛は地獄から存在するからです。またこのような自由は、死後、実際に奴隷(隷属)に変化します。なぜなら、このような自由にいた人間は、その時、地獄で卑しい奴隷となるからです。しかし、自由から善を行なうことは自由そのものです。主への愛と隣人に対する愛からであり、これらの愛は天界からであるからです。この自由もまた、死後、残り、その時、真の自由になります。なぜなら、このような自由にいた人間は天界で家の子のようになるからです。このことを主はこのように教えられています――

「罪を犯す者はすべて罪の奴隷です。奴隷は……永遠に家にとどまりませんが、息子は永遠にとどまります。もし……息子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは真に自由になります」(ヨハネ8:34–36)。

それで、善はすべて主からであり、悪はすべて地獄からであるので、自由は主により導かれ、奴隷(隷属)は地獄により導かれることである、といえます。