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新しいエルサレムとその天界の教え 167

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167 罪が赦されている、すなわち、遠ざけられているというしるしは、次のものです――〔罪を赦されている者は〕神のために神を崇拝し、隣人のために隣人に仕え、このように善のために善を行ない、真理のために真理を話すことに快さを感じます。仁愛と信仰の何らかのものによって賞に値することを欲しません。敵意、憎しみ、復讐、姦淫のような悪を、またそうしたことを意図する考えそのものを避け、しりぞけます。けれども、罪が赦されていない、すなわち、遠ざけられていないしるしは、次のものです――〔罪が赦されていない者は〕神のために神を崇拝せず、また隣人のために隣人に仕えません。このように善と真理のために、善を行なわず、真理も語らず、自己と世のためにそれを行ない、語ります。行為によって賞に値することを欲し、敵意、憎しみ、復讐、姦淫のような悪の中に不快を感じないで、それら〔の悪〕から、それら〔の悪〕について、すべて許されていると考えています。