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新しいエルサレムとその天界の教え283

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283 そのために、教会内にいて主とその神性を認めない者は神と結合することが、したがって天界の天使とともに分け前も持つことができません――なぜなら、だれも主によらなくては、また主の中にいなくては神と結合することができないからです。
だれも主によらないなら神と結合することができないことを主は「ヨハネ福音書」で教えられています、

「だれもかつて神を見てない。父のふところの中におられるひとり子がその方を説き明かされたのである」(1・18)。

同書に、

「あなたがたはかつて父の御声を聞いても、またその御形を見てもいません」(5・37)。

「マタイ福音書に」、

「御子と御子が父を現わそうと欲する者をのぞいて、だれも父を知りません」(11・27)。

「ヨハネ福音書」に、

「わたしは道であり、真理であり、いのちです。わたしを通してでないなら、だれも父のみもとに来ません」(14・6)。

だれも主の中にいないかぎり神と結合することができません。なぜなら、「ヨハネ福音書」でもまた教えられているように、父はその方の中におられ、父と主とは一つのものであられるからです、

「あなたがたはわたしを知るなら、わたしの父もまた知ります。……わたしを見た者は父を見ます。『ピリポよ、あなたはわたしが父の中におり、父がわたしの中におられるのを信じないのですか。……わたしは父の中に、父はわたしの中におられることを信じなさい』」(14・7~11)。

また同書に、

「父とわたしは一つです。……わたしは父の中に、父はわたしの中におられることをあなたがたが知って信じるためです」(10・30, 38)。