新しいエルサレムとその天界の教え286
286 主は父なるエホバからみごもられ、こうして受胎のときから神であられたことが教会に知られています。また主は全身をもってよみがえられたことも〔知られています〕、なぜなら、主は墓には何一つ残されなかったからです。このこともまた後に語って、弟子たちに確認させられました、
「わたしの手とわたしの足を見なさい、これはわたし自身です。わたしに触って、見なさい。霊にはあなたがたがわたしにあるのを見るような肉と骨がないからです」(ルカ24・39)。
また、肉と骨に関して人間であられたけれども、それでも閉ざされた戸を通って入られて、そしてご自分を現わされた後、見えなくなられました(ヨハネ20・19, 26, ルカ24・31)。〔このことは〕すべての人間と異なっています、なぜなら、人間は単に霊に関してだけよみがえり、身体に関してよみがえらないからです。それゆえ、主は〔ご自分を〕「霊のようなものではない」と語られたとき、「他の人間のようなものではない」と語られたのです。ここから、主の中の人間性もまた神的なものであることが明らかです。