新しいエルサレムとその天界の教え292
292 主の人間性を他の人間の人間性と同じようなものとする者は、主が神性それ自体から受胎されたことについて考えないし、またそれぞれの者の肉体は彼の霊魂の似姿であることも考慮しません。
彼らはその方が全身をもって復活されたことについて考えないし、また〔主が〕形を変えられたとき、その方の顔が太陽のように輝いたというその方の光景も考えません。
彼らはまた、主の語られたご自分への信仰について、父と一つであることについて、栄光について、天と地を治める力についても考えません――これらは神的なものであり、ご自分の人間性について語られた事柄です。
彼らはまた、主は人間性に関しても遍在されることを思い浮かべません(マタイ28・20)。それでも聖餐の中にその方が遍在されるという信仰はそこからのものであり、遍在は神的なものです。それどころか、おそらく彼らは聖霊と呼ばれる神性が主の人間性から発出することを考えませんが、それでもそのとき〔神性は〕主の栄化された人間性から発出します。なぜなら、語られているからです、
「イエスはいまだ栄光を受けられ〔栄化され〕なかったため、聖霊はいまだ降らなかった」(ヨハネ7・39)。