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新しいエルサレムとその天界の教え310

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310 みことばの中の主についてのあるものは、どのように理解されるべきか
主についての預言の中の「女の裔〔種〕」とは何か(256番)。
みことばの中の「人の子」と「神の子」は何を意味するか(2159, 2813番)。
2つの名前「イエス・キリスト」は何を意味するか(3004~3011番)。
主について「父から遣された」と言われることは何を意味するか(2397, 6831, 10561番)。
主がすべての者の不法を負われたことは、どのように理解されるべきか(9937番)。
主がご自分の血によって人間をあがなわれたことは、どのように理解されるべきか(10152番)。
主が律法のあらゆるものを成就されたことは、どのように理解されるべきか(10239番)。
主が人間のために執り成しされることは、どのように理解されるべきか(2250, 8573, 8705番)。
主なしに救いがないことは、どのように理解されるべきか(10828番)。
父を見上げることによって、または父にその御子のゆえに哀れみを抱かれるようにと祈ることによって、救いはない。なぜなら主は「わたしは道であり、真理であり、いのちです。わたしを通してでないなら、だれも父のみもとに来ません」と語られるから(ヨハネ14・6)(2854番)。
主は十字架の受難によって人類を父に和解させられたという〔これまでに〕受け入れられた信仰に含まれる矛盾(10659番)。
主の来臨は、みことばの中の主の現在である(3900、4060番)。
主は栄光をご自分のために人間から求められるのではない、しかし、人間の救いのために〔人間から求められる〕(5957, 10646番)。
みことばの中で「主」が記されているところで、〔「主」は〕神的な善を意味する(4973, 9167, 9194番)。
そこに「キリスト」〔が記されているところで〕、神的な真理を意味する(3004~3009番)。

主の真の承認と真の礼拝は、その方の戒めを行なうことである(みことばから示されている、10143、10153, 10578, 10645, 10829番)。