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聖書について96

96 内部に隠れている本物の真理を破壊するまでも、みことばの外観上の真理を確信することが断罪されることは、みことばのすべてと個々のものが天界と伝達していて、前に言われたこと(62―69番)にしたがって、天界を開くからです。
このように人間がその意味を天界の愛に対立している世の愛を強めるために利用するとき、その時、みことばの内的なものは虚偽となります。それゆえ、その内的なものは虚偽であり、その文字どおりの意味である外的なものが天界と伝達するとき、その時、天界は閉ざされます。なぜなら、みことばの内的なものの中にいる天使は、それを退けるからです。
そのことから、内的なものの虚偽または虚偽化された真理は天界との伝達を取り去ること、またそれを閉ざすことが明らかです。
これが、異端の虚偽の何らかのものを確信することは有害であることの理由です。
みことばは庭園のようであり、その中にすべての種類の美味なものと喜ばしいものがあって天界のパラダイス(楽園)と呼ぶべきものです。果実からの美味なものと花からの喜ばしいものです。その真ん中にいのちの木があり、その近くに、いのちの水の泉があります。しかし、庭園の周囲に森の木々があります。
教えから神的真理の中にいる人間は、いのちの木がある真ん中にいます。実際に美味なものと喜ばしいものをここから楽しみます――けれども、教えからでなく、単なる文字どおりの意味から真理の中にいる人間は、周囲にいて、森だけを見ます――しかし、宗教の虚偽の教えの中にいる者は、また自分のもとのその虚偽を確信した者は、森の中にさえいないで、その外のそこに草もない砂の平地にいます。
死後の彼らの状態がこのようなものであることもまた、そのことを述べた箇所で確証されます。