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白い馬について 6

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『天界の秘義』から、みことばとその霊的または内的な意味について

6  みことばの必要性と優越性について
自然の光からは、主、天界と地獄、死後の人間のいのち(生活)について、それによって人間に霊的で永遠のいのちがある神的な真理について、何も知られない(8944, 10318, 10320番)。
そのことはこれから知ることができる――多くの者は、彼らの間で学問のある者は、たとえ、みことばのあるところに生まれ、みことばによってそれら〔神的な真理〕について教えられていても、それらを信じていない(10319番)。
それゆえ、天界から何らかの啓示が存在することが必要であった、なぜなら、人間は天界へと生まれているから(1775番)。
それゆえ、すべての時に啓示があった(2895番)。
この地上に継続的に存在したいろいろな種類の啓示について(10355, 10632番)。
洪水以前の最古代の人々には、彼らの時は黄金時代と呼ばれ、直接の啓示が存在し、ここから神的な真理は彼らの心に刻まれた(2896番)。
洪水以後に存在した古代教会の中に、歴史的なみことばと同じく預言的なみことばがあった(2686, 2897番。その教会については『新しいエルサレムとその天界の教え』247番参照)。
その歴史的なものは「エホバの戦い」、その預言的なものは「宣言」と呼ばれた(2897番)。 そのみことばは霊感に関して私たちのみことばに似ていたが、しかし彼らの教会に適していた(2897番)。
それはモーセにより記された(2686, 2897番)。
しかし、そのみことばは失われた(2897番)。
バラムの預言から明らかなように、他の者のもとにもまた預言的な啓示があった(2898番)。

みことばはそのすべてと個々のものの中に神性がある(639, 680, 10321, 10637番)。
みことばは一点一画のすべてに関して神的であり、聖なるものである(経験から、9349番)。
今日、みことばがすべての一点に関して霊感を受けていることは、どのように説明されるか(1886番)。

教会は、みことばが存在し、それによって主が知られ、神的な真理が啓示されているところに特に存在する(3857, 10761番)。
しかし、みことばが存在して、主がそのみことばにより知られているところに生まれた者〔が教会に属するの〕ではなく、みことばからの真理によって主により再生する者が教会に属する。その者はその中にある真理にしたがって生きる者、したがって愛と信仰の生活に生きる者である(6637, 10143, 10153, 10578, 10645, 10829番)。