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白い馬について 13

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13  みことばの文字通りの意味、すなわち、外なる意味について
みことばの文字通りの意味は、世の外観にしたがっている(589, 926, 1408, 2719, 2720, 1832, 1874, 2242, 2520, 2533番)。
また、単純な者の把握にしたがっている(2533, 9048, 9063, 9086番)。
みことばはその文字通りの意味では自然的である(8783番)。
その理由は、自然的なものは最外部のものであり、その中に霊的なものと天的なものが終わり、また家がその土台の上にとどまるようなものであるからである。そうでなければ、外なる意味のない内意は、土台のない家のようになる(9360, 9430, 9433, 9824, 10044, 10436番)。
みことばは、このようなものなので、霊的な意味と天的な意味を包むものである(9407番)。
このようなので、そこのすべてと個々のものに関して、それぞれの一点までも、その文字通りの意味は聖なる神的なものである(639, 680, 1869, 1870, 9198, 10321, 10637番)。
イスラエルの子孫のために結ばれた律法は、たとえ廃止されても、その中の内意のために、やはり聖なるみことばである(9211, 9259, 9349番)。
表象的教会であったイスラエルとユダヤ教会のための律法、判決、法令は、その外なる、また内なる両方の意味において、今なお有効であるものがあり、その外なる意味にしたがって必ず守られなくてはならないものがあり、もし〔守ろうという〕気になるなら、役に立つことのできるものがあり、また完全に廃止されたものがある(9349番)。
みことばはその廃止されたものに関しても神的である(10637番)。

もし内意に関して同時に、すなわち、同じことであるが、みことばからの真の教えにしたがって理解されないなら、〔そのときの〕みことばの文字通りの意味はどんなものであるか(10402番)。
内意のない、すなわち、みことばからの純粋な教えのない文字通りの意味から、莫大な数の異端がわき出る(10400番)。
内なるもののない外なるものの中にいる者は、みことばの内的なものに耐えられない(10694番)。
ユダヤ人はこうしたものであった、また今日もそうである(301-303, 3479, 4429, 4433, 4680, 4844, 4847, 10396, 10401, 10407, 10694, 10701, 10707番)。