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白い馬について 14

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14 主は、みことばであられる
みことばの最も内なる意味では主おひとりが扱われており、その方の人間性の栄化の、すなわち、〔人間性と〕神性そのものとの結合のすべての状態が、そして地獄の征服と、そこの、また天界のすべてのものの秩序のすべての状態が述べられている(2249, 7014番)。
このようにその意味の中に世における主の全生涯が述べられており、そのことによって絶えず天使のもとに主の臨在がある(2523番)。
したがって、みことばの最も内なるものの中には主おひとりがおられる。ここから、みことばの神性と聖なるものが存在する(1873, 9357番)。
ご自分について聖書は成就した、と主が言われたことは、その最も内なる意味の中のすべて〔が成就したこと〕を意味する(7933番)。

みことばは、神的な真理を意味する(4692, 5075, 9987番)。
主は神的な真理であられるので、みことばであられる(2533番)。
みことばは主から発するので、また主について〔扱っているので〕、みことばもまた主である(2859番)。
そして、みことばはその最も内なる意味では主おひとりについて〔扱っており〕、したがって主ご自身がそこに〔おられる〕(1873, 9357番)。
また、みことばのすべてと個々のもの中には神的な善と神的な真理の結婚があるので、結婚は主おひとりの中にある(3004, 3005, 3009, 4137, 5194, 5502, 6343, 7945, 8339, 9263, 9314番)。
神的な真理が唯一の実在であり、その中にそれ〔神的な真理〕が存在し、神性からのものが唯一の実体的なものである(5272, 6880, 7004, 8200番)。
そして主から発出する神的な真理が天界の中の光であり、神的な善が天界の中の熱であるので、またそこ〔天界〕のすべてのものはそれら〔神的な善と神的な真理〕から存在するので、自然界は天界または霊界を通して存在するので、「ヨハネ福音書」の言葉にしたがって、創造されたすべてのものは、神的な真理から、このようにみことばから創造されたことが明らかである――

初めにみことばがあった。みことばは神とともにあった。神はみことばであった。……造られたものはその方によりすべて造られた。……みことばは肉となった〔1:1, 3, 14〕(2803, 2894, 5272, 6880番)。

(さらに神的な真理による、したがって主によるすべてのものの創造については著作『天界と地獄』137番参照。またそこの二つの章116~125番126~140番から豊かに)。
みことばを通し、内意を手段として、主と人間の結合がある(10375番)。
みことばのすべてと個々のものによって結合がある、そこから、みことばはすべての文書にもまさって驚くべきものである(10632~10634番)。
みことばが書かれた後、主はそれによって人間に話しかけられる(10290番)。
加えて、みことばによる天界と人間との結合については、著作『天界と地獄』の中の引用参照(303~310番)