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主について26

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26 その方の来臨について扱われているところで、主は「人の子」と言われた
そのことは、これらから明らかです——

弟子たちはイエスに言った、「あなたの来臨と世代の完了のしるしは何ですか?」 その時、主は教会の継続する状態を終わりまで、またその終わりについて、これらを予言された——「その時、人の子のしるしが現われます。……人の子が力と栄光とともに天の雲の中にやって来るのを見ます」(マタイ24・3、30。マルコ8・26。ルカ21・27)。

「世代の完了」によって教会の最後の時が意味されます——「栄光とともに天の雲の中への来臨」によって、みことばの開示が、またみことばがその方だけについて書かれていることの明示が意味されます。
「ダニエル書」に、

私は見た……見よ、天の雲とともに……人の子がやって来る(7・13)。

「黙示録」の中に、

見よ、雲とともに来る。すべての目はその方を見る(1・7)。

そこの第13節から明らかなように、これもまた「人の子」についてです。なおまた「黙示録」の中の他の箇所に、

私は見た。そのとき、見よ、白い雲、雲の上に人の子のような方が座っている(14・14)。

[2]主はご自分のもとのあるものを「神の子」によって、あるものを「人の子」によって意味されたことは、祭司長(大祭司)へのその方の応答から明らかです。

大祭司はイエスに言った。「私は、生きている神によって、あなたが私たちに、あなたがキリスト、「神の子」であるのか、言うようにあなたに命じます」。イエスは彼に言われた。「あなたは言った、『わたし〔はそれ〕である』。それでも、わたしはあなたがたに言います。今から、あなたがたは力の右手に座り、天の雲の中にやって来る人の子を見ます」(マタイ26・63、64)。

ここに最初に、「神の子」であることが言明され、その後、「人の子が力の右手に座り、天の雲の中にやって来るのが見られる」と言っています。それらによって、十字架の受難の後に、みことばを開くための、また教会を設立するための神的力の中におられたこと、それ以前には、地獄に勝たず、ご自分の人間性を栄化されなかったので、行なうことができなかったことが意味されます。
「天の雲の上に座ること」と「栄光の中にやって来ること」によって何が意味されるかは、著作『天界と地獄』(1番)の中に説明されています。