聖書について29
29 このことから、みことばの中の「三」によって、霊的な意味で、完成したものや完全なものが、なおまた同時に〔存在する〕すべてのものが意味されます――これらのことがその数によって意味されるので、それゆえ、みことばの中でこのようなものが定められるたびごとに、しばしば用られています。
例えば次のものです――
イザヤは三年間、裸とはだしで行った(イザヤ20・3)。
エホバはサムエルを三度、呼び、サムエルは三度、エリへ走った。エリは三度目に理解した(サムエル記Ⅰ3・1―8)。
ヨナタンはダビデに、三日間、自分自身を野に隠すよう言い、ヨナタンはその後、石の脇へ三本の矢を放った。その後、ダビデはヨナタンの前に三度、お辞儀をした(サムエル記Ⅰ20・5、12―41)。
エリヤは三度、自分自身をやもめの息子の上に伸ばした(列王記Ⅰ17・21)。
エリヤは、全焼のいけにえの上に三度、水を注ぐよう命令した(列王記Ⅰ18・34)。
「天の王国は、女が取って三サトン〔の粉〕の中に隠すと、全体が発酵するまでになるパン種に似ている」とイエスは言われた(マタイ13・33)。
イエスはペテロに、「わたしを三度、否定します」と言われた(マタイ26・34)。
主はペテロに三度、「わたしを愛しますか?」と言われた(ヨハネ21・15―17)。
ヨナは海の怪獣の腹の中に、三日と三晩の間、いた(ヨナ1・17)。
イエスは、「神殿を壊しなさい、わたしはそれを三日のうちに建築します」と言われた([ヨハネ2・19、]マタイ26・61)。
イエスはゲツセマネで三度、祈られた(マタイ26・39―44)。
イエスは三日目によみがえられた(マタイ28・1)。
他にも多く箇所に「三」が名前を挙げられています。終結や完成の働きについて扱われているところに、三の数によってそのことが意味されるので、その数字が挙げられています。