信仰について 19
19 仁愛と信仰は、人間のもとで完全に心収縮や心拡張と呼ばれる心臓の運動のように、また呼吸と呼ばれる肺の運動のように振る舞います――そしてまた、それらには、人間の意志また理解力との、したがって仁愛また信仰との完全な対応があります――それゆえまた、意志とその情愛は、みことばで「心臓」によって意味され、理解力とその思考は、みことばで「魂」によって、また「息」によって意味されます。それゆえ、「魂を送り出すこと」はもはや生きないことであり、「息を送り出す」はもはや呼吸しないことです。
これらのことから、信仰は仁愛なしに存在できず、仁愛も信仰なしに存在できないこと、また、仁愛のない信仰は、心臓なしの肺の呼吸のようであり、それは何らかの生きものの中に存在することはできず、自動人形の中にだけ存在できること、また、信仰のない仁愛は、肺のない心臓のようであり、そこからは何らかの生きているものが感じられないことがいえます――したがって、心臓が肺によって活動するように、仁愛は信仰によって役立ちを果たすことになります。
霊界では、ある者の信仰がどのようなものであるか呼吸だけから、その仁愛がどのようなものであるか心臓の鼓動から、だれにも知られるような、心臓と仁愛の間にまた肺と信仰の間に、そのような大きな類似が存在します―― というのは、天使と霊たちは人間と同じに、心臓の鼓動と肺の呼吸で生きているからです。ここから、彼らはこの世の人間と同様に、感じ、考え、行動し、話します。