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神の摂理 178

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178 人間に出来事の結果を前もって知ることが与えられないのは、理性にしたがって自由から行動できるためであることもまたその理由です――なぜなら、人間が愛するものは何であれ、その結果を欲し、そのことへ理性を通して自分自身を導くこと、なおまた、人間が理性で欲するもので、愛からでなく思考を通して結果にやって来るようなものは何もないことがよく知られているからです。それゆえ、結果または成果を神的な予言から知るなら、理性は、理性とともに愛は、満足して休みます。というのは、愛は理性とともに結果の中に終わり、それからその時、新しいものが始まるからです。
思考の中で愛から結果を、その結果の中でなく、しかし、その前に、すなわち、現存の中でなく、将来の中に見ることは理性の快さそのものです。
ここから人間に、「希望」と呼ばれるものがあり、それは理性の中で見るかまたは待つように、増大し、減少します。
この快さは、出来事の結果の中で満たされますが、しかし、その後、それについての思考とともに去ります。成果が前もって知られるとき、同様になったでしょう。
[2]人間の心は、連続的に、目的・原因・結果と呼ばれる三つのものの中にあります。
これらから一つが欠けているなら、人間のいのちの中に心はありません。
意志の情愛は、いのちからの目的です。理解力の思考は、いのちによる原因です。身体の行動、口の話、または外なる感覚は、思考を通しての目的の結果です。
人間の心が、単に意志の情愛の中にある時、そのいのちの中になく、またさらに、同様に単に結果の中にある時、そのいのちがないことは、だれにも明らかです。
それゆえ、別々にそれらの一つからでなく、結合してそれら三つから、心に、何らかのいのちがあります。
心のこのいのちは、出来事の結果が予言されるとき、減少し、去ります。