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神の摂理 189

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189 神を承認することによって霊的に、プロプリウムの捨てることによって賢明になった人間は、全世界の中に、そしてそのすべてと個々のものの中に、神的な真理を見ます。
自然的なものを眺めるなら、それを見、市民的なものを眺めても、それを見、霊的なものを眺めても、それを見、これを連続的な事柄と同様に同時的な事柄の中に、目的・原因・結果・役立ち・形・大きいものと小さいものの中に、それを見ます――特に、人間の救いの中に見ます、例えば、エホバがみことばを与え、それによって神について、天界と地獄について、永遠のいのちについて彼らを教え、その方が、人間をあがない、救うために世にやって来たことです。
これらや多くのことを、それらの中の神的な摂理を、人間は自然的な光の中で霊的な光から見ます。
しかし、単に自然的な人間はこれらから何も見ません。
[2]荘厳な神殿を見て神的な照らしの中で説教を聞いても、〔その後〕家で、「石の家しか見なかった、はっきり発音された声しか聞かなかった」と言う者のようです――または、すべての種類の実で飾られた庭園に入り、その後、家にやって来て、「森と木しか見なかった」と語る近眼の人のようです。
さらにまたこのような者は、死後、霊になって、そこのすべてのものは愛と知恵の表象の形の中にある天使の天界に上げられたとき、何も見ないし、存在するものでさえ見ません。私は、その行為を主の神的な摂理を否定した多くの者に見ました。