神の摂理 275
(9)悪は救う目的のために許されている
275 もし人間が愛の中に、その愛の中に創造され、生まれていたなら、何らかの悪の中にいなかったでしょう、それどころか、何が悪か知らなかったでしょう。なぜなら、悪の中にいなかった者は、ここから悪の中にいない者は、何が悪か知ることができないからです。もし、これやそれやが悪である、と言われても、ありえることを信じません。
この状態が無垢の状態であり、その中にアダムと彼の妻エバがいました。彼らが恥じなかった裸はその状態を意味しました。
善悪の知識の木から食べることによって、堕落後の悪の認識が意味されます。
自分自身に欲するように隣人に善くあるようにと欲し、さらに、幼児に対する両親にある愛とほとんど異ならない愛の楽しさの中にいることを欲するような愛の中に人間は創造されました、それは隣人愛です。
この愛は真に人間らしいものです。なぜなら、その中に霊的なものがあり、それによって獣にある自然的な愛から区別されるからです。
人間がその愛の中に生まれていたなら、現在のすべての人間のように無知の暗黒の中に生まれず、すぐにも、知識とそこからの知性である光の中にやって来たでしょう――確かに最初は四足獣のように這います、しかし、足の上に自分自身を立たせる生来のコナトゥスが伴っています。なぜなら、〔人間は〕四足獣に〔似ているに〕もかかわらず、それでも、顔を下方へ、地へ向けて下げないで、前方へ、上の方へ、天へ向けることまたできるように、立つからです。