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神の摂理 292

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292 人間が考え、意志し、ここから話し、行なうすべてのものは唯一のいのちの泉から流入すること、それでも、主である唯一のいのちの泉は、人間が悪と虚偽を考えることの原因ではないことは、自然界の中の次のものによって説明されることができます。
その太陽から熱と光が発出し、またそれら二つのものは目に見られるすべての主体と対象に流入します。善い主体と美しい対象の中だけでなく、悪い主体と醜い対象の中にもまた流入し、それらの中にいろいろなものを生みます――というのは、善い実を生む木の中にだけでなく、悪い実を生む木の中にもまた、それどころか、それらに生長を与える実そのものの中にも、同様に、善い種の中に、そしてまた毒麦の中に――なおまた、善い役立ち、すなわち、健康によい灌木の中にも、そしてまた悪い役立ち、すなわち、有毒な灌木の中にも流入します。それでも、同じ熱、同じ光であって、それらの中に何らかの悪の原因はなく、その原因は受け入れる主体と対象の中にあります。
[2]卵を孵化する熱も同様であり、〔中に〕ハト・美しい鳥・白鳥がいる卵を孵化するように、〔中に〕フクロウ・ミミズク・コブラが隠れている卵を孵化します。
めんどりの下に両方の種類の卵を置きなさい、すると本質的に無害であるその熱により、それらは孵化されます。そこで、熱は、それら悪いものや有害なものと何を共通に持ちますか?
ブドウ酒・芳香物・活力あるもの・生きたものに流入する熱は、同様に沼地・糞・腐ったもの・死体の中にその働きを行ないます。原因が熱の中になく、受け取る主体の中にあることを、だれが見ませんか?
さらにまた、同じ光が一つの対象の中で快い色を、他の対象の中で嫌な色を引き起こします。それどころか、白光りするものの中では、それ自体を照らし、輝き、黒へと傾くものの中では、それ自体を暗くします。
[3]霊界の中で同様であり、そこにもまた主であるその太陽からの熱と光があり、それらの熱と光がその太陽からその主体と対象へ流入します。そこの主体と対象は天使と霊であり、特に、彼らの意志と知力です。そこの熱は発出する神的な愛であり、そこの光は発出する神的な知恵です。それらはある者と他の者とに異なって受け入れられることの原因ではありません。なぜなら、主は言われているからです、

〔天の父は〕太陽を悪い者と善い者の上に昇らせ、雨を正しい者と不正な者の上に送られる(マタイ5・45)。

太陽」によって最高の霊的な意味の中で神的な愛が、「」によって神的な知恵が意味されます。