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神の摂理 316

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316 すべての善と真理は人間から、人間の中にあることをプロプリウムの思慮分別が説きつけ、確信するのは、プロプリウムの思慮分別が人間の意志のプロプリウムである自己愛から流入する人間の知的なプロプリウムであるからであり、プロプリウムは、すべてのものを自分自身のものにすることしかできません。というのは、それから高揚されることができないからです。
主の神的な摂理により導かれるすべての者は、プロプリウムから高揚され、その時、すべての善と真理は主からであることを見ます、それどころか、主から人間の中にあるものは永続的に主にあること、決して人間にないことも見ます。
〔これと〕異なって信じる者は、自分の主人の財産を自分自身のもとに蓄えて保持する者のようであり、それらを自分自身に要求するかまたは自分のものとして専有します。その者は執事でなく、泥棒です。人間のプロプリウムは悪でしかないので、それゆえ、彼はまたその財産を自分の悪の中に浸し、そのことから、糞または酸い液体に投げ込まれた真珠のように、その財産は消費されます。