神の摂理 317
317 (3)説きつけられ、確信したすべてのものはプロプリウムのように人間のもとに残る
何らかの真理は証明からでなければ、人間に見られることはできない、と多くの者に信じられています、しかし、このことは虚偽です。
それらの中に、王国と共和国の市民的なことと経済的なことの中には、多くの規定や規範が知られないなら、役立つものや善は見られることができません。そして裁判の事柄のものは、法律が知られないなら。自然の事柄は、例えば、物理学・化学・解剖学・機械学は、人間が知識を教え込まれていないなら、見られることはできません。
しかし、純粋に理性的なもの・道徳的なもの・霊的なもののその真理は、人間が正しい教育から多少とも理性的に、道徳的に、霊的になっているかぎり、それらの光そのものから見られます。
その理由は、それぞれの人間は、考える者である自分の霊に関して霊界の中に、そしてそこの他の者の間に、それゆえ、霊的な光の中にいて、その光により彼の内的な理解力が照らされ、いわば指図されるからです。
なぜなら、霊的な光は、その本質では、主の神的な知恵の神的な真理であるからです。
ここから、人間が分析的に考え、裁判の中で正しいものまた真っ直ぐなものについて結論し、そして道徳的な生活の中で尊敬すべきものを、霊的なものの中で善を見ることができます。そしてまた虚偽の確信からでないなら、暗やみの中に落ち込まない多くの真理を見ることができます。
人間がそれらを見るのは、比較すれば、それぞれの者に生来のものであって、それ以外の他の知識なしに、他の者の顔つきから彼のアニムスを見、彼の話し声から彼の情愛に気づくのと、ほとんど異なりません。
どんな動物でも、流入から自然的なものである自分に必要なものを知っているのに、なぜ、人間は流入からある程度、霊的で道徳的なものである自分のいのちの内的なものを見ないのですか?
鳥は、巣をつくり、卵を産み、ひなをかえすことを知っており、自分の食べ物を熟知しています。加えてほかにも、本能と呼ばれるものに驚くべきものがあります。