神の愛と知恵 38
38 神的な愛と神的な知恵は、みことばの中で「公正(義)と審判(さばき)」によって、神的な愛は「公正」によって、また神的な知恵は「審判」によって意味されています——それゆえ、みことばの中で主について「公正(義)」と「審判(さばき)」と言われています。
例えば、「ダビデ」に、
義とさばきは、あなたの王座の支え(詩篇89:14)。
同書に、
エホバは、義を光のように……さばきを……真昼のように現わされる (詩篇37:6)。
「ホセア書」に、
わたしは、あなたにわたしを永遠に婚約させる……公正と審判の中で (2:19)。
「エレミヤ書」に、
わたしはダビデに正しい若枝を起こす。彼は王として支配し……地にさばきと公正を行なう (23:5)。
「イザヤ書」に、
ダビデの王座に、その王国の上に着く。さばきと公正のうちに、これを堅く立てるために (9:7)。
同書に、
エホバは高められる……地をさばきと公正で満たされたからである (33:5)。
「ダビデ」に、
私はあなたの公正なさばきを学ぶとき……日に七度、私はあなたを、あなたの公正なさばきについてほめたたえます (詩篇119:7, 164)。
同様のことが「ヨハネ福音書」に、「いのち」と「光」によって意味されます、
その方の中にいのちがあった。いのちは人間の光であった (1:4)。
「いのち」によって主の神的な愛が、また「光」によってその方の神的な知恵が意味されます。
さらにまた同様のことが「ヨハネ福音書」に、「いのち」と「霊」によって意味されます、
イエスは言われた、「わたしがあなたがたに話したことばは、霊といのちです」。(6:63)