最後の審判 57
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その国民からのある者たちと、ペテロに与えられたかぎ について、天界と地獄の上への主の力が彼に移されたどうか話しました。それは彼らの宗教の根本的なものであったので、「そのことについては、はっきりと言われているので何も疑いがない」と言って、猛烈に主張しました。
しかし、みことばの個々のものに、天界の中のみことばの意味である霊的な意味が内在することを知っているかどうか、問を向けました。彼らは最初、「知らない」と言いました、しかしその後、「調べられるべきだ」と言いました。また、彼らが調べたとき、みことばの個々のものの中に、霊的なものが自然的なものから異なるように文字どおりの意味から異なっている霊的な意味があることを教えられました。また、他に、みことばの中に名前を挙げられたある人物は天界の中で名前を挙げられないこと、しかし、その代わりに、何らかの霊的なものがそこに意味されることを教えられました――最後に、みことばの中の「ペテロ」の代わりに、同様に、その時、ペテロとともに名前を挙げられている「岩 」によって、善からの仁愛のものである教会の信仰の真理が意味されることを教えられました。なぜなら、言われているからです、
あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます(マタイ16:18以降)。
それらによって、ペテロに何らかの力が与えられたことでなく、善からの真理が意味されます、なぜなら、天界の中のすべての力は善からの真理に、すなわち、真理を通して善にあるからです。また、すべての善と真理は主からであるので、何も人間からでなく、すべての力は主にあるからです。
これらを聞いて、「それらのことばの中に霊的な意味があるかどうか知りたい」と憤慨して言いました。そのために彼らに、自然的な意味がなく、霊的な意味をもつ天界の中のみことばが与えられました、そのみことばは霊的な者である天使のためのものです(このようなみことばが天界の中にあることは、著作『天界と地獄』(259, 261番)参照)。また彼らがそれを読んだとき、そこにペトロの名前が挙げられていないで、それに代わって、主からのものである善からの真理があるのを、はっきりと見ました ――これを見て、怒りから、それを投げ返しました。すぐに取り去られなかったなら、歯で引き裂かんばかりでした。ここから、たとえ納得させられたくなくても、神的な力であるので主おひとりにその力があること、まして人間のだれかにないことを納得させられました。
*2 主の十二弟子は、イスラエルの十二部族と同様に、真理と善の、すなわち、信仰と愛の、すべてのものに関する教会を表象した(2129, 3354, 3488, 3858, 6397番)。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネは、信仰・仁愛・仁愛の善を表象した(3750番)。
ペテロは信仰を〔表象した(4738, 6000, 6073, 6344, 10087, 10580)。
ペテロに天界の王国のかぎが与えられたことは、すべての力が善からの真理であることを、すなわち、主からのもの〔である〕仁愛からの信仰を、このようにすべての力は主にあることを意味した(6344番)。「かぎ」は、開け、閉ざす力である(9410番)。
すべての力は真理を通して善に、すなわち、主からの善からの真理にある(3091, 3563, 6344, 6423, 6948, 8200, 8304, 9327, 9410, 9639, 9643, 10019, 10182番)。
みことばの中で「岩」は神的な真理に関する主を意味する(8581, 10580番)。
みことばの中の人物と場所のすべての名前は事柄と状態を意味する(768, 1888, 4310, 4442, 10329番)。
それらの名前は天界の中に入らない、しかしそれらが意味する事柄の中に変えられる。それらの名前は天界の中で発声されることもできない(1876, 5225, 6516, 12216, 10282番)。
みことばの内意は、そこに単なる名前だけ〔述べられていても]どれほど優雅か、例から説明される(1224, 1264, 1888番)。
★ ギリシア語で「ペテロ」はペトロス(Terpos)、「岩」はペトラ(itpa)です。