最後の審判と世の終わり 第二部 30
30[4059] これらの節の中で言われている個々のものから、内意があること、またその意味の理解なしに、何が含まれているか、決して知られることができないことが、はっきりと明らかです。例えば、「太陽が暗くされる」こと、「月」もまた〔光を与えない〕こと、「星が天から落ちる」こと、また「天の力が揺り動かされる」こと、主が「天の雲の中に見られる」こと、「天使たちがらっぱを鳴らし、このように選ばれた者を集める」ことです。これらのことばの内意を知らない者は、このようなことが起こるであろうことを、それどころか、全世界の中に見られるすべてのものとともに世が滅ぶであろうことを信じてしまいます。しかし、最後の審判によって世の何らかの滅亡は意味されず、仁愛と信仰に関して教会の完了または荒廃が意味されます(3354[1]番参照)、また、「マタイ福音書」の同じ〔この〕章の中で続けられる次のことばからはっきりと明らかです、
その時、ふたりが畑の中にいて、ひとりは選ばれ、ひとりは残されます。ふたりの臼をひく女がいて、ひとりは選ばれ、ひとりは残されます(第81節)。