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最後の審判と世の終わり 第二部 40

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40[4423] 旧い教会の排斥と新しい教会の養子縁組(選定)のとき、それがどのようなものであるか知る者はほとんどいません。人間の内的なものとこれらの情愛を、またここから死後の人間の状態を知らない者は、善と真理が荒廃している、すなわち、もはや心で認められていない旧い教会の者は、洪水以前の者のように洪水で、あるいはユダヤ人のように自分の土地から追放されて、あるいはさらにまたそのように滅びてしまう、としか把握することができません――しかし、教会が、特にその内的な状態に関して、そのように来世の中での状態に関して荒廃したとき、すなわち、もはや信仰の何らかの善の中にないとき滅びます。その時、天界は彼らから遠ざかり、したがって主は遠ざかり、彼らに代わって養子にされる他の者へ移ります。なぜなら、地上のどこかに教会なしに、人間との天界の伝達は存在しないから。というのは、地上の教会は〝最大の人〟の心臓と肺のようであるからです(468, 637, 931, 2054, 2853番)。
[2]その時、旧い教会の者は、またこのように天界から遠く離れた者は、内的なものに関してある種の洪水の中に、実際に頭の上まで洪水の中にいます。この洪水そのものは、人間が身体の中で生きるとき認められません、しかし、死後、その中にやって来ます。その洪水は来世で認められ、実際に曇った霧で囲まれるようであり、それによって天界から分離されています――その曇った霧の中にいる者の状態は、信仰の真理が何か、ましてその善が何か、少しも見ることができないことです。というのは、天界の光は、その光の中に知性と知恵がありますが、その霧の中を貫通することができないから――これが荒廃した教会の状態です。