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結婚愛 39

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39 (5) これらは個人的な観察によって十分に確証される
人間が人間〔として〕、死後、生きること、その時、男性は男性、そして女性は女性〔であり〕、そしてそれぞれの者のもとに自分自身の愛が、そして特に性愛と結婚愛が残ることを、理解力のものや理性と呼ばれるそのようなものによって確信することに、これまで、私は懸命に努めました。しかし、人間は両親と教師により幼児期から、その後、学者や聖職者から、人間は死後に、最後の審判の日の後よりも生きないという信念を得て、その期待の中に今や六千年いました。多くの者はこのことを、信念で得られても、理解力で得られないものの間に置いたので、同じことが個人的な観察の証拠によって確信されることが必要です。そうでなければ、単に感覚によって信じる人間は、刻みつけられた信念から、「もし、人間が、死後、人間として生きるなら、私は彼らを見、聞くであろう」、なおまた、「だれが天界から下ったか、地獄から上ったか、また話したか?」と言うでしょう。
しかし、霊のものである心の内的なものが、主により開かれた者とでないなら、天界の何らかの天使が降り、地獄の何らかの霊が上り、そして何らかの人間と話すことはできなかったし、〔今でも〕できません、またこのことは、主により霊的な知恵のものであるそれらを受け入れるために、十分に(完全に)準備された者でないなら行なわれることができないので、それゆえ、このこと〔=これらのことが私になされること〕は、天界と地獄の状態が、そして死後の人間のいのち(生活)の状態が知られず、そしてついには否定の中に埋められることがないようにとの目的のために、主の喜びでした。
しかし、前述のことについて個人的な観察からの証拠は、豊富なために、私はここに示すことができません。しかし『天界と地獄』の著作の中に、そしてその後、『続 霊界について』の中に、そして、続いて、『啓示された黙示録』の中に示しました。しかし、特に、ここに、結婚について、この著作の段落または章の後に続けられるメモラビリアの中に示します。