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結婚愛 41

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41 (7) 復活の後に婚姻が存在しないという主のことばによって霊的な婚姻が意味される
福音書にこれらが読まれます――
復活を否定するあるサドカイ人がイエスに、「先生、モーセは……もし、ある兄弟が、妻を持っていて、死に、そして彼に子どもがないとき、彼の兄弟は〔その〕妻をめとり、自分の兄弟の種を起こすようにせよ、と書いていますと言って――七人の兄弟がいて、彼らは次々に妻を受け入れました。しかし、子どもがなく……最後に、女も死にました……そこで、復活のとき、彼らのだれの妻になるのですか?」と質問した。……しかし、イエスは彼らに言った、「この世代の子たちはめとり、とついだりします。けれども、次の世代に続き、死から復活するためにふさわしい者は、めとらないし、とついだりもしません。というのは、もはや死ぬことができないから、というのは、天使は、また神の子たちは、復活の子であるとき、同様であるからです。けれども、死んだ者がよみがえることは、モーセもまた「柴〔の箇所〕」で、主を、アブラハムの神、ヤコブの神、イサクの神と言ったとき、表明しました。けれども、今、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。というのは、すべての者はそれらの神に対して生きているからです」(ルカ20:27–38, マタイ22:22–31, マルコ12:18–27)。

主がこれらによって教えたものは二つあります。第一のものは、人間が、死後、よみがえること、第二のものは、婚姻が天界に存在しないことです。
人間が、死後、よみがえることは、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であること、また、アブラハム、イサク、ヤコブが生きていることによってです。そしてさらに、地獄の富んだ者、天界のラザロについてのたとえによってです(ルカ16:22–31)。
[2]第二のもの、天界に婚姻がないことは、次の世代に続くのにふさわしい者は、めとらないし、とついだりもしないことによってです――霊的な婚姻以外の他の婚姻がここに意味されないことは、直ちに続けられるみことばからはっきりと明らかです、もはや死ぬことができないから、というのは、天使は、また神の子たちは、復活の子であるとき、同様であるからです――霊的な婚姻によって主との結合が意味され、これは地上で行なわれます。地上で行なわれるとき、天界でも行なわれます。それゆえ、天界では再びめとったり、とついだりしません。このこともまたこれらによって意味されます、「この世代の子たちはめとり、とついだりします。けれども、次の世代に続き、死から復活するためにふさわしい者は、めとらないし、とついだりもしません」。
これらの者もまた主により「婚姻の子たち」と呼ばれています(マタイ9:15, マルコ2:19)。また今や「天使」、「神の子たち」、「よみがえりの子たち」です。
[3]「婚姻を行なうこと」が主と結合されること、また「婚姻の中に入れられること」が主により天界に受け入れられることであることは、これらから明らかです――

天の王国は王〔である〕人間に似ています、その王は自分の息子のために婚礼を設け、そしてしもべを遣わし、婚礼へと招きました(マタイ22:1–14)。
天界の王国は十人の娘に似ています、その者たちは……花婿に会いに出て、それらの者からの用意された五人が婚礼の中に入れられました(マタイ25:1以降)。

主がここに〔花婿によって〕ご自分を意味したことは第13節から明らかです、そこに言われています、

目覚めていなさい……あなたがたは、いつ人の子がやって来るか、その日と時を知らないからです。

なおまた「黙示録」から、

小羊の婚姻の時が来て、その妻は用意した……小羊の婚姻の正餐に呼ばれた者は幸いだ(19:7, 9)。

主が語られたそれらのすべてと個々のものの中に霊的なものが意味されていることは、1763年にアムステルダムで出版された『新しいエルサレムの教え 聖書について』の中に、十分に示されています。