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結婚愛 98

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98 (9) 人間のもとの性愛は結婚愛の起源ではなく、その最初のものである、したがって、外なる自然的なもののようであり、それに内なる霊的なものが植え付けられている
ここに扱われている真の結婚愛は、普通の愛ではありません、これも結婚のものと呼ばれますが、ある者のもとでは制限された性愛でしかありません。けれども、真の結婚愛は、知恵を熱望し、ここからますますそれへ進む者のもとにだけあります。このことを主は予見され、彼らに結婚愛を備えられています。その愛は、確かに、彼らのもとで性愛から、すなわち、むしろ、この愛によって始まります、しかしそれでも、性愛から起るのではありません。というのは、知恵は段階を進み、光の中で示すほど、彼らのもとで起こるから。なぜなら、知恵とその愛は分離できない仲間であるからです。
[2]結婚愛が性愛を通して始まることは、配偶者に出会う前に全般的に〔異〕性が愛され、そして愛らしい目で見られ、それらとともに礼儀正しく、丁寧に扱われるからです。というのは、若者は選択の中にいるからであり、その時、ひとりの者との結婚に向けての生来の性向から、それ〔性向〕は彼の心の聖なる場所の中に隠れていますが、彼の外なるものは優しく暖かいものになるからです。また、結婚への決定はいろいろな理由から壮年期の真ん中まで引き伸ばされ、そしてその間に、その愛の始まりに情欲のように存在します。それはある者のもとで実際に性愛へそれます、しかしそれでも、健全に導かれるかぎり、彼らのもとでその抑制がさらにゆるめられることはありません。
しかし、これらを男性について言いました、男性には実際に刺激する誘惑があるからです、けれども、女性についてではありません。
[3]これらから、性愛は真の結婚愛の起源ではなく、しかし、時間でその最初のものです、けれども、目的で最初のものはないことが明らかです。というのは、最初のものは目的であり、これは第一位のものであるので、心とその意図で最初のものであるから。しかし、この最初のものは、手段を通して継続的にでないなら近づけられません。これ〔手段〕はそれ自体では最初のものではなく、本質的に最初のものへと単に促進させるものです。