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結婚愛 310

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310 (14) 結婚式の後、霊の結婚もまた身体のものに、このように完全なものになる
 人間により身体の中で行なわれるすべてのものは、彼の霊から流入します。というのは、口はそれ自体から話さず、心(mens)の思考が口によって話し、なおまた、手また足はそれ自体から行なわず、歩かず、心の意志がそれらによって行ない、歩くことがよく知られているからです。ここから、心があるように、そのように口の話しがあり、そのように身体の行為があることが明らかです――これらから、心は絶え間のない流入によって、それ自体に一致し、同時に起こる活動へ向けて身体をつくっていることが結論としていえます。それゆえ、内的に見られた人間の身体は、霊魂の意向を遂行するために有機的にまとめられた心の外的な形でしかありません。
 これらが言われたのは、心または霊は、最初にさらにまた先んじて身体に関して、互いに結婚のように結合しなければならない、すなわち、結婚が、身体のものとなる時、霊のものであることがどこからであるか、知覚されるためです。したがって、霊から互いに愛する夫婦は、ここから身体でも互いに愛します。
[2]さて、これらから、私たちは結婚に注目してみます――結婚愛がふたりの心を結合させ、そしてそれらを結婚として形作る時、それに向けて彼らの身体もまた結合され、形作られます。なぜなら、〔これまでに〕言われたように、身体の内的な形が心により確定されるものへ向けられてこの外的に有機的にまとめられたものがそれを遂行するためのものである、という単なる相違とともに、心の形は内的に身体の形でもあるからです。
 けれども、結婚愛から形作られた心は、単に全身の中に、そのまわりのどこでも内的に存在するのではなく、特に、生殖に割り当てられた器官の中に内的に存在します、それらは身体の他の領域の下のその領域の中に置かれていて、これらの中に、結婚愛で結合されている者もとの心の形が終結しています。したがって、彼らの心の情愛と思考はそこ〔生殖器官〕に確定されます。この中で心の活動は他の愛と異なっています。これらはそれに行き渡りません。
 これらから、ふたりの心または霊の中に結婚愛があるように、その器官の中の内的なものがそのようである、という結論が生じます。
 けれども、婚礼の後、霊の結婚もまた身体のものに、このように完全なものになることは、それ自体から明らかです。したがって、霊での結婚が貞潔であり、そしてその神聖なものを得ているなら、身体の中でその完全なものにあるときも同様です――そして霊での結婚が不貞なものであるなら逆です。