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結婚愛 328

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328 これらの後、私たちが去る前に、再び、私たちはこの事柄について話し、私は言った、「それらの相違は、別の源泉からではありません、霊界のあなたがたは、実体的なものの中にいるので、ここから霊的であり、物質的ではなく、そして実体は物質の始まりです。あなたがたは始まり(基本物質)の中に、このように個々のもの(特定のもの、限られたもの)の中にいます、けれども、私たちは(最初の原理からの)派生物の中に、合成物(いろいろな要素を含むもの)の中にいます。あなたがたは個別のものの中にいます、けれども、私たちは全般的なものの中にいます。全般的なものが個別のものの中に入ることができないように、そのように物質的なものである自然的なものは、実体的なものである霊的なものの中に入ることができません。まったく、船のロープが裁縫の針の穴を通って入るかまたは導かれることができないような、または小繊維から神経が存在するのに、その一つに引き入れられることができないようなものです——このこともまた世でよく知られています、それゆえ、霊的なものの中への自然的な流入は存在せず、自然的なものの中への霊的な流入が存在することは、学者の同意事項です。
 そこで、これらが、霊的な人間が考えるものを自然的な人間が考えることも、ここから、それを話すこともできない理由です。それゆえ、パウロは、第三の天界から聞いたそれらを言い表わせないものと呼びました。
[2]追加の事実は、霊的に考えることは時間と空間なしに、自然的に考えることは時間と空間とともに考えることです。というのは、自然的な思考のすべての観念には時間と空間からの何らかのものが付着しています、けれども霊的な観念の何らかのものに付着していないからです。その理由、霊界は自然界のように空間と時間の中になく、それらの二つの外観の中にあるからです——思考と知覚もこのことで相違しています。
 それゆえ、あなたがたは永遠からの神の本質と遍在について考えることができます、すなわち、あなたがたは、世の創造前の、時間なしの神の本質について、空間なしにその方の遍在について考えるので、このようにあなたがたは人間の自然的な観念を超えているようなものを把握します」。 
[3]その時、私は、かつて私が永遠からの神の本質と遍在について、すなわち、世の創造前の神について考えたこと、私の思考の観念からまだ時間と空間を取り除くことができなかったので、神の観念の代わりに自然の観念が入って、私が悩まされたことを話した。しかし私に「空間と時間の観念を取り除け、するとあなたは見る」と言われた。
 取り除くことが与えられ、私は見た。その時から私は、永遠からの自然ではまったくない、永遠からの神を考えることができた。神はすべての時間の中で、時間なしに、またすべての空間の中で、空間なしに存在するからである、けれども、自然はすべての時間の中で、時間の中に、すべての空間の中で、空間の中に存在するからである。自然はその時間と空間とともに始まらないことができない、けれども、神は〔そうしたことは〕ない、その方は空間と時間なしである。それゆえ、自然は神から、永遠からでなく、時間の中に、すなわち、その時間と同時に空間とともに存在する。