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結婚愛 335

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335 (2) ひとりの妻とでないなら、初めから真の結婚愛にいる者に備えられているような天的な至福、霊的な幸せ、自然的な快感の状態は存在することができない
 天的な至福、霊的な幸せ、自然的な快感が言われるのは、人間の心が三つの領域の中に分かれているからです、それらの最高のものが天的なもの、第二のものが霊的なもの、第三のものが自然的なものと呼ばれます。そしてそれらの三つの領域が真の結婚愛にいる者のもとに開かれており、そして流入が開かれたものにしたがって順に続いています――その愛の楽しさは最高の領域の中で最も卓越しているので、それらは至福として知覚されます。中間の領域の中でそれほど卓越していないので、それらは幸せとして、また最後に、最も低い領域の中で、快感として知覚されます――それらが存在し、知覚され、感じられることは、それらを述べたメモラビリアから明らかです。
[2]それらのすべての幸福が真の結婚愛にいる者に初めから備えられていることは、主の中に無限のすべての至福があり、その方は神的愛であり、愛の本質は、ご自分のすべての善を愛する他の者に伝える(共有する)ことを欲することであるからです――それゆえ、人間と一緒にその愛を創造し、そして彼にそれを受け入れ、知覚する能力を刻み込まれました。
 ある愛があり、その中に主からもたらされたすべての至福・幸せ・快さがあり、それらは常にもたらされることができることを見ることができないような、これほどに鈍いまた気の狂った知力がだれにあるのですか〔ありえないでしょう〕。