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結婚愛 415

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39 自然界に存在し、生じるすべてのものは、主から霊界を通って存在すること

415 (ここに次のメモラビリアを加えます——)
ある朝、眠りから目覚めての時、朝また穏やかな光の中で、完全な目覚めの前に瞑想しながら、私は窓越しに、稲妻の閃光のようなものを見、すぐに雷鳴のような鋭い音を聞いた。そして、これがどこからか私が怪しんでいるとき、私は天界からこれらを聞いた——
「あなたから遠くないところにいて、神と自然について鋭く推論している者たちがいる。稲妻のような光のひらめきと、雷鳴のような空気の鋭い音は、一方の側が神に賛成し、もう一方の側が自然に賛成する論証の戦いと衝突の対応するものとここからの外観である」。
この霊的な戦いの原因はこれであった——地獄に、あるサタンたちがいて、互いに、「神と呼ぶものは自然であること、それらからすべてのものがあり、そのように自然を意味しないなら、神は単なる言葉であることを、私たちが天界の天使たちと話して、完全に論証することが私たちに許されればよいのに」と話した——そのサタンたちは全心でまた全精神でそのことを信じ、天界の天使たちと話すことを欲したので、彼らに地獄の泥と暗やみから上り、ふたりの天使がその時、降って来て、話すことが与えられた。彼らは天界と地獄の中間にある霊たちの世界にいた。
[2]サタンたちはそこに天使たちを見て、すばやく走り寄り、激怒した声で叫んだ、「神と自然について推論しに集まることが許されている天界の天使はあなたがたか?
あなたがたは神を認めるので賢明な者たちと呼ばれる。おお、しかしなんとあなたがたは単純な者なのか。だれが神を見たか? 神が何者か、だれが理解しているか? 神が全世界を、そしてそのすべてと個々のものを支配し、支配することができることを、だれが把握しているのか? 庶民や大衆でないなら、見ないし、理解しないものをだれが認めるのか?
自然がすべての中のすべてであること以外に、さらに何が明らかか? 自然以外に、何らかのものをだれが目で見るのか? 自然以外に、何らかのものをだれが耳で聞くのか? 自然以外に、何らかのものをだれが鼻でかぐのか? 自然以外に、何らかのものをだれが舌で味わうのか? 自然以外に、だれが手と身体の何らかの触覚で何らかのものを感じるのか?
私たちの身体の感覚だけが真理の証人ではないのか? だれがそのようであることを、それらから誓うことができないか? あなたがたの頭は自然の中にないか? 自然からでないなら、流入はどこから思考の中に与えられるのか? 自然を取り去ってみよ、あなたがたはどんなものも考えることができないのではないか?」
ほかに同様の、別の種類の多くのもの。
[3]これらを聞いて、天使たちは答えた、「あなたがたはそのように話します、あなたがたは単に感覚的であるからです。地獄のすべての者は思考の観念を身体の感覚で沈めたものを持っています、その上に心を上げることもできません。それゆえ、私たちはあなたがたに許します。悪の生活とここからの虚偽の信仰が悪の生活と信仰の虚偽から遠く離れた状態の中でないなら、感覚的なものの上への高揚があなたがたのもとにありえないようにまでも、あなたがたの心の内的なものを閉ざしています。なぜなら、サタンは天使と等しく、真理を聞くとき、理解することができるからです、しかし心に保持しません、悪が真理を消し去り、虚偽を引き入れるからです。
しかし私たちは、あなたがたが遠く離れた状態の中にいること、このように私たちが話す真理を理解できることを認めます。それゆえ、これら私たちが話すものに留意しなさい」。
また、言った——「あなたがたは自然界にいました、そこで死に、今や、霊界にいます——今より以前に、死後の生活について何らかのものを知りましたか? 以前に、それを否定しませんでしたか、また、あなたがたはあなたがたを獣(動物)と等しくしませんでしたか? 以前に、あなたがたは天界と地獄について何らかのものを知りましたか、この世界の熱と光について何らかのものを〔知りましたか〕? もはやあなたがたは自然の内にいないこと、しかしその上にいることについて〔知りませんか〕? というのは、この世界は、すべてのものが霊的である世界であり、霊的なものは自然的なものの上にあり、決してこの世界へ、自然の最小のものも、流入することができないようなものであるからです。しかし、あなたがたは、自然を神あるいは女神と信じたので、この世界の熱と光もまた自然界の熱と光であると信じています。そのときそれでも、少しも〔そうでは〕ありません。なぜなら、自然的な光はここの暗黒であり、自然的な熱はここの冷たさであるからです。
あなたがたはこの世界の太陽について何らかのものを知っていましたか? その太陽から私たちの光と私たちの熱は発出しています。この太陽は純粋な愛であり、自然界の太陽は純粋な火であることを知っていましたか? 世の太陽は純粋な火であり、その太陽から自然は存在するようになり、存続します。天界の太陽は純粋な愛であり、その太陽から知恵と一緒の愛であるいのちそのものがあり、存在するようになり、存続します。このように、あなたがたは神あるいは女神とする自然はまったく死んだものであることを〔知っていましたか〕?
[4]あなたがたは、守衛が与えられるなら、私たちと天界へ上がることができます。私たちは、守衛が与えられるなら、あなたがたと地獄へ下ることができます——あなたがたは天界でりっぱなものとみごとなものを、しかし地獄で不潔なものときたないものを見ます——それらの相違があるのは、天界のすべての者は神を礼拝し、地獄のすべての者は自然を礼拝するからです。そして、天界のりっぱでみごとなそれらのものは、善と真理への愛の情愛に対応するものです、そして、地獄の不潔なきたないそれらのものは、悪と虚偽の欲望に対応するものです。
これらから、今や、すべての中のすべてのものは神なのか、あるいは、自然なのか、結論しなさい」。
これにサタンたちは答えた、「今や、私たちがいる状態の中で、私たちは聞いたことから、神がいることを結論することができる。しかし悪の快さが私たちの心を占めるとき、私たちは自然しか見ない」。
[5](それらのふたりの天使とサタンたちが私から遠くないところに立った。それゆえ、私は彼らを見、聞いた——すると見よ、私は彼らのまわりに多くの霊を見た、その者たちは自然界からの有名な博学な者たちであった。そして、私は、その博学な者たちが、時には天使の近くに、時にはサタンの近くに立ち、彼らの近くに立って賛同したことを怪しんだ——すると、私に、「時には一つの側にまた時にはもう一つの側にと賛成する彼らの位置の変化は、彼らの心の状態の変化であった」と言われたというのは、ウェルトゥムヌス(変化の神)であったからである。)
「私たちはあなたに秘密を言いましょう——私たちは地上の有名な博学な者を見下ろしました、その者は自分の判断から神と自然について考えました。私たちは、千人からの六百人の者が自然に賛成し、残りの者が神に賛成しているのを見ました。しかし、神に賛成しているこれらの者は、何らかの理解力からでなく、単に聞いたことから、自然は神からであることを、しばしば話していることからです。そして思考と知性と同時にでなく、記憶と思い出すことからたびたび話すことは、ある種の信仰をもたらします」。
[6]この後、サタンたちに守衛が与えられ、ふたりの天使とともに天界へ上り、そしてりっぱなものとみごとなものを見た。その時、天界の光からの照らしの中でそこに、神がいること、自然は神の中で、神からのいのちに役立つために創造され、自然は本質的に死んだものであり、このようにそれ自体から何も働かないこと、しかしいのちから働かされることを認めた。
これらを見て、知覚して、彼らは下った、下るに応じて、悪の愛が戻り、彼らの理解力を上で閉ざし、下で開いた。その時、その上に地獄の火からひらめいているおおいのようなものが見えた——足が地に触れたとき、直ちにその下の地面が割れ、自分〔仲間〕のところへ転び落ちた。