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結婚愛 444b

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(十八)私通について

444b 私通によって、情婦である女との結婚前の青年のまたは若者の情欲が意味されます。けれども、情婦でない女との情欲は、すなわち、娘または他の者の妻との情欲は私通ではなく、娘とは性的な堕落であり、他の者の妻とは姦淫です。
これら二つのものが私通からどのように異なるか、性愛をその段階と多様性の中で見通し、その一方の側から貞潔を、またもう一方の側からの不貞を、そして、両方の側を属と種に分類し、このように区別しないなら、だれからも理性的に見られることができません――そうでなければ、それぞれの者の観念の中に、貞潔と不貞の間の、多かれ少なかれ、その違いを示すことができません。これらの区別なしに、すべての関係は、判断の事柄の中のこの洞察力とともに失われ、そして理解力は、姦淫から私通を、ましてさらに、私通と同様に姦淫の穏やかなものをそのきびしいものから、区別することを知らないような、このようなやみに包まれます。このように悪を混ぜ、〔悪の〕いろいろなものから一つのスープ(だし汁)を、また善のいろいろなものから一つのペースト(練り物)をつくります。
それゆえ、性愛が明瞭に知られるために、その〔性愛の〕部分に関して、それから結婚愛にまったく対立する淫行愛へ傾き、進んで行く、その始まり〔である私通〕を調べるのがうまいやり方です。
このことを次の系列で行ないます――

(1) 私通は性愛に属す。
(2) これは、青年が自己の理解力から考えることと行動することを始め、そしてその話す声が男らしいものになり始めるとき、始まる。
(3) 私通は自然的な人に属す。
(4) 私通は情欲である、しかし、姦淫への情欲ではない。
(5) 性愛は全面的に抑制されることができない、むしろ、ある者のもとで害なしに私通の中へ出て行く。
(6) それゆえ、人口の多い都市で売春宿は許容されている。
(7) 結婚愛を目指し、これを優先させるほど、私通しようとする情欲は軽いものである。
(8) 姦淫を目指すほど、私通しようとする情欲は重いものである。
(9) 多様なものへの欲望へ、処女凌辱への欲望へ向かうほど、私通しようとする情欲はさらに重いものである。
(10) 私通しようとする情欲のスフェアは、始まりの中で、淫行愛のスフェアと結婚愛のスフェアの間の中央にあり、均衡をつくるようなものである。
(11) 結婚愛が無秩序で抑制されていない私通によって滅ぼされないように用心しなければならない。
(12) ひとりの妻とひとりの男(夫)の結婚のものは、人間の生活の宝、キリスト教の宝庫であるからである。
(13) いろいろな理由のためにまだ結婚に入ることができない、また肉欲のために情欲を抑えることができない者のもとのこの結婚のものは、放浪性の性愛がひとりの愛人に限られるなら、保たれることができる。
(14) 愛人を持つことは、多くの者と、処女すなわち害われていない女とも、そして結婚した女とも結ばれず、そして結婚愛から分離して保たれるかぎり放浪性の情欲にまさる。
今からこれらの解説を続けます。