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結婚愛 523

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(二十六)淫行愛と結婚愛の両方の愛の転嫁について

523 主は言われました、

さばいてはいけません、あなたがたが断罪されないためです(マタイ7:1)。

このことによって、世での道徳的なまた市民的な何らかの生活(いのち)についての裁きは決して意味されることができません。霊的なまた天的な何らかのいのち(生活)についての裁きが意味されます。
もし世で自分と一緒に住む者の道徳的な生活(いのち)について裁くことが許されないなら、社会は崩壊することをだれが見ませんか? もし公けの裁きがないなら、もしそれぞれの者に他の者について自分の裁きがないなら、社会に何が起こりませんか?
しかし、どのような内的な心または霊魂が、そのように彼にどのような霊的な状態が内在するか、またここから死後の運命を裁くことは、このことについて、主おひとりが知られているので、裁くことは許されません。主はこのことを死んだ後でないなら示されません、それぞれの者が行なうことを自由から行ない、このことによって善または悪が、彼から、またこのように彼の中にあり、ここから永遠に自分自身にまた自分自身のものを生きる理由のためです。
世で隠された心の内的なものが、死後、現わされることは、このことがその時、人間が生きる社会にとって重要であり、貢献するからです、というのは、すべての者はそこでは霊的であるからです。
そのとき、それらが現わされることは、これらの主のことばから明らかです、
現われないで秘密にされている、または知られないで隠されているものは何もありません。それゆえ、暗やみの中であなたがたが言うどんなものでも、光の中で聞かれます。寝室の中で耳の中へあなたがたが話したものが、屋上で宣言されます(ルカ12:2, 3)。

[2]もし外なるものの中で見られるようなあなたが、内なるものの中でもこのようなものであるなら、あなたは救われるかあるいは断罪されるといった、このような全般的な裁きは許されます。あなたは内なるものの中でこのような者である、それゆえ、あなたは救われるかあるいは断罪されるといった、このような個々の(特定の)裁きは許されません。
人間の霊的ないのち(生活)、すなわち、霊魂の内なるもののいのち(生活)についての裁きが転嫁によって意味され、それについてここに扱われています。
だれが心で淫行者であるのか、だれが心で配偶者であるのか、人間のだれが知っていますか? それでも、意志の目的である心の考えた事柄が、だれをも裁きます。
しかし、これらを次の順序で明らかにします――

(1) 死後、悪の中にいるそれぞれの者に、その悪が転嫁される。善も同様である。
(2) ある者の善が他の者に転移するのは不可能である。
(3) 転嫁は、それによってこのような転移が意味されるなら、むだな言葉である。
(4) それぞれの者の悪が彼の意志がどんなものかにしたがって、彼の理解力がどんなものかにしたがって転嫁される、善も同様である。
(5) このようにそれぞれの者に淫行愛が転嫁される。
(6) 結婚愛も同様である。

これらの説明を続けます。