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続 最後の審判について 10

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  (2) 「前の天」と「前の地」にいた者は、だれであり、どんなものであったか
このことは、小著『最後の審判』の中に述べられています。しかし、だれであり、どんなものであったか、その知識により続くもののが理解されるので、それらについてもまたここに言います。
自分たちを天界の下に集め、いろいろな場所に自分たちにいわば天界を形成し、それらもまた天界と呼んだすべての者は、最も低い天界の天使たちと結合しました、しかし、外なるものに関してだけであり、内なるものに関しては結合していませんでした――大部分の者は、ヤギとその一味であり、その者について「マタイ福音書」(25:41–46)に述べられています。確かに、その者は世の中で悪を行ないませんでした、というのは、道徳的に善く生きたから、しかし、善の起源から善を行ないませんでした、というのは、信仰を仁愛から分離し、ここから悪を罪として見なかったからです。
これらの者は外なるものの中でキリスト教徒として生きたので、外なるものの中で彼らに似ている最も低い天界の天使たちと結合しました。しかし、内なるものの中では似ていません、というのは〔その天使たちは〕信仰の中に、しかし仁愛からの信仰の中にいる「羊」であるからです。
その結合のために、存在が許されたのです。なぜなら、最後の審判の前に彼らを分離することは、最も低い天界の中にいた者に危害を加えることになったであろうから、というのは、これらの者は彼らとともに破滅の中に引きずり込まれたであろうからです。
このことが、主が「マタイ福音書」で予言されたことです――

イエスは、たとえを言われた――
天の王国は、自分の畑に善い種を蒔く人間に似ています――しかし、人間が眠った時、彼の敵が来て、毒麦を蒔き、立ち去った。苗が芽を出し、実を結んだ時、毒麦もまた現われた。
けれども、家長のしもべたちが近づいて、言った、『主人さま、あなたの畑の中に善い種が蒔かれませんでしたか? ……出かけて、私たちがそれらを集めるのを、あなたは望まれませんか?』
 けれども、その方は言った、「いいえ〔望まない〕、おそらく、あなたがたは毒麦を集め、それらとともに小麦を根こぎに〔するかもしれない。そう〕しないように、両方とも収穫まで一緒に生長させておきなさい。収穫の時に、私は収穫する者に言います、『最初に毒麦を集めなさい、それらを焼くために束に結びなさい。けれども、小麦は穀物倉の中に集めなさい』。
……善い種を蒔いた者は人の子です。畑は……世です。……種は王国の息子たちです。毒麦は……悪の息子たちです。……収穫は世代の完了です。……それゆえ、毒麦が集められ……焼かれるように、世代の完了の中でこのようになります(13:24–30, 37–40)。

世代の完了」は教会の最後の時であり、「毒麦」は内的に悪い者、「小麦」は内的に善い者であり、「焼かれるために束の中に彼らを集めること」は彼らの上の最後の審判です。最後の審判の前の分離によって危害が善い者に加えられないように〔ということが〕、「毒麦を集め、あなたがたがそれらとともに小麦を根こそぎにしないように、両方とも収穫まで一緒に生長させておきなさい」によって意味されています。