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信仰について 16

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16 これらは木との比較によって説明することができます。
木はその最初の始まりは種の中にあり、その中には実を生み出すコナトゥス(努力)があります。
この努力は熱により刺激されて、最初に根を、そして根から枝や葉とともに幹または茎を、そして最後に実を生み出します。このように、実を結ぶ努力は存在するようになります ―― このことから、実を生み出す努力は、存在するようになるまで、進むことのすべての中に絶えず存在することが明らかです。なぜなら、もしそれが終わるなら、生長する力は直ちに死んでしまうからです。
これらのことを〔人間に〕適用しましょう ――
木は人間です。手段を生み出す努力は、人間の場合、理解力の中の意志から存在します。枝や葉とともに幹または茎は、人間の場合、その意志の手段であり、信仰の真理と呼ばれます。木の中で実を結ぶ努力の最後の結果である実は、人間の場合、役立ちです。この役立ちの中に〔結果としての〕意志が存在します。
ここから、理解力を手段として役立ちを生み出す意志は、存在するようになるまで進むことのすべての中に不断に存在することを知ることができます。
意志と理解力について、またそれらの結合については、『新しいエルサレムのための生活の教え』の43番を見てください。