信仰について 21
21 しかし自分に向けられている隣人の中の善または役立ちからその隣人を愛することと、隣人に向けて自分自身の中の善または役立ちからその隣人を愛することは、別のものです。
自分に向けられている隣人の中の善または役立ちからその隣人を愛することは悪い者にもできます。しかし隣人に向けて自分自身の中の善または役立ちからその隣人を愛することは善い者でなければできません。なぜなら、後者は善から善を愛し、または役立ちの情愛から役立ちを愛するからです。
前者と後者の相違が、主により「マタイ」(第5章42~47節)に述べられています。
多くの者が、「彼が私を愛し、私に善を行なうので、私は彼を愛する」と言います。しかしそれでも、そのことだけから彼を愛することは、自分自身が善の中にいて、その善から彼の善を愛するのでないなら、内的に彼を愛することにはなりません。一方は仁愛の中にいます、もう一方は仁愛ではない友情の中にいます。
仁愛から隣人を愛する者は、自分自身を隣人の人物とではなく、彼の善と結合させ、隣人が善の中にいるかぎり、それだけ結合します。この者は霊的であり、霊的に隣人を愛します。しかし、単なる友情から他の者を愛する者は、自分自身をその人物と結合させ、そして同時に、彼の悪とも結合します。この者は、死後、悪の中いる人物からほとんど分離されることができません、けれども、これと別の者はできます。
仁愛はこのことを信仰によって果たします、信仰は真理であるからです。仁愛の中にいる人間は、真理によって、何が愛されるべきかを調べ、知ります。愛し、善を行ないながら、役立ちの性質を考慮しています。