カテゴリー

主について 20

19◀︎目次▶︎21

20 「神の子」によって、世でまとった人間性に関する主が意味され、それは神的人間性であるので、主がこれほど何度も「父から世に遣わされた」、「父から出てきた」と言われたことによって何が意味されるか明らかです——「父から世に遣わされた」ことによって、父エホバからみごもられたことが意味されます。
「遣わされること」また「父から遣われる」によって他のことが意味されないことは、そこにさらにまた父の意志とその方の働きを行なうことが言われているすべての箇所から明らかです。それらの働きは、地獄に勝利し、人間性を栄化し、みことばを教え、新しい教会を設立することでした——それらは、エホバからみごもって、処女から生まれた人間性によってでないなら、すなわち、神が人とならなかったなら、行なわれることができませんでした。
「遣わされること」また「遣わされた」と言われている箇所を開きなさい、そこにあなたは見るでしょう。
(例えば、マタイ10・40、15・24。マルコ9・37。ルカ4・43、9・48、10・16。ヨハネ3・17、34、4・34、5・23、24、36、37、38、6・29、39、40、44、57、7・16、18、28、29、8・16、18、29、42、9・4、11・41、42、12・44、45、49、13・20、14・24、15・21、16・5、17・3、8、21、23、25、20・21。ほかにもまた、そこに主がエホバを「父」と呼ばれている箇所)。