主について24
24 受難について扱われているとき、主は「人の子」と言われた
このことは、これらから明らかです——
イエスは弟子たちに言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムに上ります。人の子は祭司長と書記(律法学者)に渡され、彼らはその方を死に断罪し、その方を異邦人に渡します。その方をむち打ち、その方につばを吐き、その方を殺します。それでも、第三日に、よみがります」(マルコ10・33、34)。
ご自分の受難を予言されている他の箇所も同様です(例えば、マタイ20・18、19。マルコ8・31。ルカ9・22)。
イエスは弟子たちに言われた、「見よ、時があり、人の子が罪人の手に渡されます」(マタイ26・45)。
天使は墓にやって来ている女たちに言われた、「あなたがたに話されたことを、思い出しなさい。人の子は罪ある人間の手に〔渡され〕、裏切られ、十字架に付けられ、第三日によみがえなければならないことです」(ルカ24・6、7)。
主が、その時、自分自身を「人の子」と呼ばれたのは、前に大いに示されているように、彼らがみことばに行なったように、同様に自分自身に行なわれることを許されたからです。