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主について34

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34 (5) ご自分の中の神性と人間性の完全な結合は、最後の試練であった十字架の受難によってなされた
 このことは、前のその節の中で論証しました。その中に、主が地獄を征服し、ご自分の人間性を栄化するために世にやって来られたこと、十字架の受難が最後の闘争であり、それによって完全に地獄に勝利し、完全にご自分の人間性を栄化されたことが示されています。
さて、主は十字架の受難によって自分の人間性を完全に栄化されたので、すなわち、それを自分の神性と結合し、このようにご自分の人間性もまた神的なものにされたので、その方はエホバまた神であることがいえます——それゆえ、みことばの多くの箇所の中で、エホバ・神、またイスラエルの聖なる者・あがない主・救い主・形成者と呼ばれています。
[2]例えば、続くこれらのものの中に——

 マリヤは言った。「私の魂は主をあがめ、私の霊は私の救い主なる神を小躍りして喜びます」(ルカ1・46、47)。
 羊飼いたちに「天使は言った……見よ、私はあなたがたにすべての民に起こる大いなる楽しさの福音をもたらします。今日……ダビデの都に救い主、主キリストが生まれました」(ルカ2・10、11)。
 彼らは言った……「この方は世のほんとうの救い主、キリストです」(ヨハネ4・42)
神エホバは「わたしは、あなたを助ける……あがない主……イスラエルの聖なる者」
(イザヤ41・14)。
 ヤコブよ、あなたの創造者エホバは言われた。イスラエルよ、あなたの形成者は言われた。……なぜなら、わたしはあなたをあがなったから。……わたしはあなたの神エホバ、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主」(イザヤ43・1、3)。
 あなたがたのあがない主、イスラエルの聖なる者、エホバは言われた。……わたしエホバは、あなたがたの救い主、イスラエルの創造者、あなたがたの王(イザヤ43・14、15)。
 イスラエルの聖なる者、またその創造者(……救い主)はこのように言われた(イザヤ45・11、15)。
 あなたのあがない主、イスラエルの聖なる者、主はこのように言われた(イザヤ48・17)。
 すべての肉が、わたしエホバがあなたの救い主、あなたのあがない主、ヤコブの力強き者であることを知る(イザヤ49・26)。
 その時、シオンにあがない主が来る(イザヤ59・20)。
 あなたは、わたしエホバがあなたの救い主、あなたのあがない主、ヤコブの力ある者であることを知る(イザヤ60・16)。
 エホバは胎内からあなたの形成者(イザヤ49・5)。
 エホバよ、私の岩、私のあがない主(詩篇19・15)。
 彼らは、神が彼らの岩であること、高い神が彼らのあがない主であることを思い出した(詩篇78・35)。
 胎内からあなたのあがない主、あなたの形成者、エホバは言われた(イザヤ44・24)。
 私たちのあがない主について、その方の名前は万軍の主、イスラエルの聖なる者(イザヤ47・4)。
 永遠の慈悲をもって、わたしはあなたを哀れむ、このようにあなたのあがない主、エホバは言われた(イザヤ54・8)。
 彼らのあがない主は強い、その方の名前は(万軍の)エホバ(エレミヤ50・34)。
 イスラエルよ、エホバに期待せよ。エホバに慈悲があり……その方に多くのあがないがあるからである。……その方はイスラエルのそのすべての不法からあがなわれる(詩篇130・7、8)。
 神「エホバは私の岩……私のとりで……私の救いの角……私の救い主」(サムエル記Ⅱ 22・2、3)。
 イスラエルのあがない主、その聖なる者、エホバはこのように言われた。「王たちは見、とどまる……忠実である〕エホバのために、あなたを選んだイスラエルの聖なる者のために」(イザヤ49・7)。
 神はただあなたの間にだけ〔おられ〕、ほかに他の神はいない。確かに、あなたは隠れた神、イスラエルの神、救い主(イザヤ45・14、15)。
 イスラエルの王、エホバ、またそのあがない主、万軍の主、エホバは言われた……わたしのほかに神はいない(イザヤ44・6)。
 わたしはエホバ、わたしのほかに救い主はいない(イザヤ43・11)。
 わたし、エホバではないか?わたしのほかにさらにいない、救い主はわたしのほかにいない(イザヤ45・21)。
 わたし、エホバはあなたの神〔である〕、わたしのほかに神をあなたは知らない、わたしのほかに救い主はいない(ホセア13・4)。
 わたし、エホバではないか?わたしのほかにさらに神はいない。わたしのほかに正義の神また救い主はいない。わたしを顧みよ、救われるために、地のすべての端よ。わたしは神、ほかにいないからである(イザヤ45・21、22)。
 その方の名前は万軍のエホバ、またあなたのあがない主は、イスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれる(イザヤ54・5)。

[3]これらから、父と呼ばれる主の神性は、ここにエホバと神であり、そして子と呼ばれる神的人間性は、ここにあがない主と救い主、なおまた形成者、すなわち、改革者と再生者であり、〔それらは〕二つではなく、一つであることを見ることができます。なぜなら、神とイスラエルの聖なる者、あがない主と救い主エホバと言われているだけでなく、あがない主と救い主エホバともまた言われているからです。それどころか、「救い主エホバ、わたしのほかにいない」ともまた言われています。それらから、主の中の神性と人間性が一つの位格(ぺルソナ)であること、人間性もまた神性であることがはっきりと明らかです。なぜなら、世のあがない主と救い主は、子と呼ばれる神的人間性に関する主にほかならないからです。
というのは、あがないと救いは、功績と義と呼ばれるその方の人間性のプロプリウム(固有のもの)の属性であるから。なぜなら、人間性そのものは試練と十字架の受難を受けたからです。このように、人間性によって、あがない、救いました。
[4]そこで、キリスト教界の教えにしたがって、人間のもとの霊魂と身体のようであった人間性がご自分の中の神性と結合した後は、もはや二つではなく、一つの位格(ペルソナ)であり、それゆえ、主は両方のものに関してエホバと神です。それゆえ、示された箇所から見られることができるように、時には、エホバとイスラエルの聖なる者、あがない主と救い主、時には、あがない主と救い主エホバと言われます——そのことはここに言われています、

 救い主キリスト(ルカ2・10、11、ヨハネ4・42)。
 神、またイスラエルの神、救い主、またあがない主(ルカ1・47。イザヤ45・15、54・5。詩篇78・35)。
 イスラエルの聖なる者エホバ、救い主、またあがない主(イザヤ41・14、43・3、11、14、15、48・17、49・7、54・5)。
 救い主、あがない主、形成者エホバ(イザヤ44・6、47・4、49・26、54・〔5、〕8、63・16。エレミヤ50・34。詩篇19・14、詩篇130・7、8。サムエル記Ⅱ 22・2、3)。
 あがない主また救い主〔なる〕神エホバ、わたしのほかに他の者は(い)ない(イザヤ43・11、44・6、45・14、 15、21、22。ホセア13・4)。