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主について44

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44 「ダビデ」によって主が意味されることを知っている者は、なぜダビデが自分の「詩篇」の中で、自分自身について書いているとき、これほど主について書いたか知ることができます——例えば「詩篇」八十九編の中に、そこにこれらが——

 わたしは、わたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデと誓った。永遠に、わたしはあなたの裔を堅く立て、あなたの王座を代々限りなく建てる。天はあなたの驚くべきことをほめたたえる……真実もまた……聖徒たちの集まりの中で。……その時、あなたは、幻の中で、あなたの聖徒と話し、あなたは言われた、「わたしは力〔ある者〕の上に助けを置き、わたしは民から選ばれた者を上げた。わたしは、わたしのしもべダビデを見つけ、わたしの最も聖なる油を彼に注いだ。その者とともにわたしの手は堅く立てられ、わたしの腕もまた彼を強くする。……わたしの真実とわたしの慈悲が彼とともに〔あり、〕わたしの名前によって彼の角は高められる。わたしは彼の手を海の中に、彼の右手を流れの中に置く。彼はわたしを、『わたしの父、わたしの神、わたしの救いの岩』と呼ぶ。わたしもまた彼に長子の権利を与え、地の王たちに〔対して〕高いもの〔とする〕。……わたしの契約は彼に堅く立っている〔ものになる〕。……わたしは永遠に彼の裔を置き、彼の王座を天の日のように〔する〕。……かつて、わたしはわたしの神聖なものによって誓った。わたしは決してダビデに偽らない。彼の裔は永遠にあり、彼の王座は太陽のようにわたしの前に〔あり〕、月のように、また雲の中の忠実な証人〔のように〕永遠に堅く立てられる」(3―5、19―21、24―29、35―37)。

同様に、他の「詩篇」の中で(例えば、詩篇45・1―17、詩篇122・4、5、詩篇132・8―18)。