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主について47

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47 (1) 「霊」によって人間のいのちが意味される
 このことは、人間は死ぬとき霊を送り出す、と言われる普通の会話から明らかにすることができます。それゆえ、この意味で「霊」によって呼吸のいのちが意味されます。霊という言葉もまたその語源を呼吸〔吹き込むこと〕から得ています。ここから、へブル語で霊と風(息)は一つの言葉です。
人間に二つのいのちの源泉があります。一つは心臓の動きであり、もう一つは肺の呼吸です。
「霊」によって、そしてまた「霊魂」によって正しく意味されるものは、肺の呼吸からのいのちです。それは理解力からの人間の思考と一つのものとして活動します、しかし、心臓の動きからのいのちは人間の意志の愛と一つのものとして活動することは、その箇所に見られます。
みことばの中で「霊」によって人間のいのちが意味されることは、これらから明らかです——

 あなたが彼らの息を集めると、彼らは息絶え、ちりに戻る(詩篇104・29)。
 〔神は〕彼らが肉であり、立ち去り、戻らない霊〔であることを〕思い出された(詩篇78・39)。
 彼の息が出て行ったとき、地の中に戻る(詩篇146・4)。
 ヒゼキヤは、自分の霊のいのちが去ることを嘆いた(イザヤ38・16)。
 ヤコブの霊は生き返った(創世記45・27)。
 鋳造は……偽りのものである、その中に息はない(エレミヤ51・17)。
 主エホビは〔乾いた〕骨に言われた……わたしは、あなたがたが生きるようにあなたがたの中に息をもたらす。……風(息)よ、四つの方向からやって来い、この殺された者の中に吹き込め、生きよ。……息が彼らの中にやって来て、生き返った(エゼキエル37・5、6、9、10)。
 イエスは娘の手をつかんで……彼女の霊が戻り、直ちに起き上がった(ルカ8・54、55)。