主について59
59 以上はこの教えの神の三一性と同一性についてです。
以下、その教えで受肉と呼ばれる世で主によりまとわれた人間性について続けます。
それもまた教えの中のすべてと個々のものについて、主がおられた母からの人間性である卑下または空にした状態や試練と十字架を受けた状態と、また、その中におられた父からの人間性である栄化または結合の状態が明確に理解されるかぎり真理です——なぜなら、主は、永遠からの主であるエホバからみごもり、処女マリアから生まれて、世で人間性をとられたからです。ここから、その方は神性と人間性となりました。永遠からのご自分の神性からの神性と時間の中での母マリアからの人間性です。しかしこの人間性を脱ぎ捨て、神的な人間性を着ました——神的人間性(人間的な神性)と呼ばれるもの、みことばの中で「神の子」によって意味されるものは、この人間性です。
そこで、教えの中で受肉について先行する母の人間性について、その中におられた卑下の状態と、そこに続く神的人間性について、その中におられた栄化の状態が理解されるとき、その時、そこにすべてのものもまた一致します。
卑下の状態の中におられたときの母(から)の人間性に、次のものが教えの中にあるものと一致します、
イエス・キリストは神と人であり、父の実体から神、母の実体から世で生まれた人である——理性的な霊魂と人間の身体から構成されている完全な神と完全な人である——神性に関して父に等しい、そして人間性に関して父により劣った。
なおまたこれら、
その人間性を神性に変えたのではなく、それに混合させたのでもない——しかし脱ぎ捨て、その代わりに神的な人間性をとられた。
栄化の状態の中に、また今や永遠の中にいるときの神的な人間性に、教えの中に続く次のものが一致します——
たとえ私たちの主イエス・キリストは、神の子、神と人であっても、それでも二つではなく、しかし一つのキリスト、それどころか完全に一つである、というのは一つの位格であり、霊魂と身体が一つの人間であるように、そのように神と人は一つのキリストであるからである。