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神の愛と知恵 1

まえがき◀︎目次▶︎002

第一部

愛は人間のいのちである

1 人間は愛があることを知っていますが、愛が何であるかを知りません。普段の会話から愛があることを知っています。例えば、彼は私を愛する、国王は臣民を愛し、臣民は国王を愛する、夫は妻を愛する、母は子供を愛し、その逆も、さらにあれやこれやの者が祖国を、仲間の市民、隣人を愛する、同様に、人物から抽象された事柄について、このことやあのことを愛する、と言われています。しかし、このように会話の中で愛は普通のことですが、それでも愛とは何か、ほとんど知りません。
愛について熟考する時、そのことについて何の観念も形成することができないので、「何もない」あるいは、「単に視覚、聴覚、触覚、また社交から流入し、このように感動させる何らかの存在である」と言います——いのちそのものであることを、全身の全般的ないのちだけでなく、個々のものすべてのいのちであることをまったく知りません。
 賢明な者はこのことを、「あなたが愛のものである情愛を取り去るなら、何かを考えることができますか? また、何かを行なうことができますか? 愛のものである情愛が冷たくなるほど、それだけ思考、会話、行動は冷たくなりませんか? 熱くなればなるほど、それだけそれらも熱くなりませんか?」と言われるとき、ここから知覚することができます。しかし、賢明な者は、これらのことを、愛が人間のいのちであるという知識からではなくて、このようなことが起こる経験から知覚しています。
 〔この1番の大部分が『結婚愛』34番に引用されています〕