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神の愛と知恵 76

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76 時間なしの神について知らず、また何らかの知覚から考えることができない者は、「永遠」を、時間〔として〕の永遠以外のものとして、まったく知覚することができません——永遠からの神ついて考えるとき、気が狂うしかありません。というのは、始まりから考え、始まりは時間に特有のものであるからです。
 彼の狂気は、「神はそれ自体から存在するようになる」と考えるときに生じ、そのことから、「自然はそれ自体に起源をもつ」という観念の中に真っ逆さまに落ち込みます——永遠について時間のないものである霊的なまたは天使的な観念によってでないなら、その観念から解かれることはできません。時間のないものであるとき、永遠と神性は同じであり、神性はそれ自体からではなく、本質的に神性です。
 天使は、「永遠からの神を確かに知覚することができる。しかし、永遠からの自然は少しも、ましてそれ自体からの自然は、また自然それ自体のうちにある自然はまったく知覚できない。なぜなら、それ自体で存在するものは、エッセそのものであり、それからすべてのものが存在するから、またエッセは本質的に、いのちそのものであり、それは神的な知恵の神的な愛と神的な愛の神的な知恵であるからである」と言っています。
 これが天使にとっての永遠であり、創造されたのではないものは、創造から、あるいは無限は有限から切り離されているように、時間から切り離されたものであり、それらの間に割合は決して存在しません。