神の愛と知恵 139
139 この実際に主へ向きを変えることは、愛と同時に知恵からです。愛だけからでなく、また知恵だけからでもありません。愛だけではエキシステレ(実在)のないエッセ(存在)のようです、というのは、愛は知恵の中に存在するようになるから。また愛のない知恵はエッセのないエキシステレのようです、というのは、知恵は愛から存在するようになるからです。
確かに知恵のない愛は存在しますが、その愛は人間にあるものであり、主にはありません。そしてまた、愛のない知恵も存在します、しかし、その知恵は確かに主からものですが、それ自体の中に主はおられません。というのは、冬の光のようであり、それは確かに太陽からですが、それでも太陽の本質である熱は、その中にないからです。