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神の愛と知恵 215

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215 それぞれの系列の最終的なものである役立ち、行動、働き、実践が前のものすべての合成物と容器であることは、まだ知られていません。
 役立ち、行動、働き、実践の中には、運動の中にあるものようなもの以外に多くのものが内在するようには見えませんが、それでも、前のものすべてがそれらに実際に、多く、何も欠けたものがないようにも内在します——それらの中に、ぶどう酒がその容器の中に、家具がその家の中にあるように含まれています。
 これらが見られないのは、単に外的に眺められ、外的には単なる行動と運動に見られるからです。
 動く腕と手の場合のようであり、そのどんな運動にも千の運動神経が共同して作用していること、千の運動神経にその運動神経を刺激する千の思考と情愛が対応していることに気づきません。それらは内部で働き、身体の何らかの感覚に見られないからです。
 意志からの思考を通してでないなら、身体の中でまたは身体を通して何も行なわれないことはよく知られています。意志と思考の二つとも働いているので、そのすべてと個々のものが行動に内在しないことはありえず、分離されることもありえません。
 ここから、意図と呼ばれる人間の意志の思考について、それは他の者により行為または働きから判断されます。
 天使は、人間の行為または働きだけから、行なう者の意志と思考のすべてを、第三の天界の天使は意志から目的を、第二の天界の天使は目的を行なう原因を、知覚し、見ることが私によくわかるようになりました。
 みことばの中の「働き」と「行為」がしばしば命じられており、そして人間はそれら〔働きと行為〕から知られる、と言われているのはここからです。